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天地が悠久だ、ということは、天地には自己というものがなく、無為であり、無心であるからである。
天地というものは、自分で天としてあろう、という想念があるわけでもないし、地として存在したくてしているものでもない。
天地が天地としてあるのは、宇宙神のみ心が、そうあらしめてあるが故に、そのようにあるのであって、自分の存在を主張して、他に自己を示そうとする自我というものは全くない。
宇宙神のみ心を離れた自己というもののない天地は、宇宙神のみ心のままに、宇宙神と共に存在するのである。
そこで天地には時間的な終末というものがなくて、悠久である。
(五井昌久著・高橋英雄編『日々の祈り』32頁)
感想・・・天地だけでなく、海も山も川も植物、鉱物、樹々らも、そして私たちの肉体に近い動物たちも、「俺は〇〇だ」「俺に刃向かう奴は許さない!」などと自己主張はしません。
ただ人間たちのされるがままに存在しています。
私たちはなぜ、もっと大自然のように無為に無心に余計なことを考えずに 悠長に生きられないのでしょうか?
私たちは、頭を使わなければ、小智才覚、つまり小さな浅はかな頭の智恵を使わなければ、利口でなければ、幸せに生きて行けないと思っています。
しかし、そうではなく、必要な智恵、叡智はほんとうの自分がいる神界から守護神さん、守護霊さんを通して神智(メッセージ)が与えられるのです。
お釈迦様もキリスト様も老子様も肉体の頭は一切使わなかった(笑)
肉体から意識を外して、おそらく外すという意識もなく、高い次元の世界と繋がっていたのです。
不思議でしょうが、近未来の人間は頭を使わなくなります。
よって想わなくなる、頭で考えないようになるのです。
では、どこで考える?いやどこに意識を置くようになるのか?というとへその下3.5センチにある下丹田(かたんでん)です。
下丹田は、腹脳(ふくのう)といい、宇宙と繋がっており、宇宙エネルギーと地球エネルギーが最も多く交錯しているスポットです。(他にも上丹田、中丹田がある)
そこは静寂であり、地球界、肉体界、3次元の喧騒から、荒い波動から守ることが出来ます。
私はこの下丹田に意識を置くことを知らなかったら、『世界平和の祈り』、主に3つの印がなかったら、狂人もしくは肉体がボロボロになっていたと思います。
下丹田は聖地なのです。シェルターです。
そして宇宙のエネルギー、神界の霊要素である〝水素ガス〟を摂り入れることでなんとか肉体を保っています(笑)
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
参考、お薦め本
『調和波動気功法』(宇宙天使からの贈り物)于寿明 三晃書房
『無限なる癒し』于寿明 星湖舎