夜明け前、こっそり宿を抜け出して歩く。

駅からほんの少しの路地が中々の風情を醸している。東京駅の周りにはもうこんなの無いだろうなあ。

九条車庫前から市バスに乗って、羅城門跡へ。

今日もどっぷり観光客を運びに、続々と始発が出ていくところだった。随分黒字らしいじゃないか。あ、九条ネギの九条か。

羅城門跡。つまりここから北へ朱雀大路が延び、ここから南は洛外だった。今は跡形もなく、門自体の遺構も見つかっていないらしい。

歩道橋からたまたま見つけた東寺五重塔の朝焼け。観光客が何人か写真を撮っていたから、有名なスポットなのかな。歩くと、こう言う偶然の出会いがある。

おぉぉ。素晴らしい。

帰りは朝メシに間に合うよう、ひと駅近鉄で。カッコイイ。

こちらも。

午後、鉄博に妻子を置き去りにして、少し気になっていた柳原銀行記念資料館へ。部落問題は軽々しく書けないが、この辺りは家康以前から河原での死刑執行の役務を負う代わりに家畜処理の権益を与えられ、皮革産業が発展した。で、明治期に被差別部落民により、部落民の為に設立されたのが、柳原銀行。差別で融資を受けられなかった人々に貸付け、その産業発展と差別撤廃に貢献したとのこと。建築史的にも貴重なものらしい。

その崇神地区も今は超立派な市立芸術大学だ。

思想的に右寄りな自覚はあるが、水平社の人権宣言には熱いモノを感じた。想像力豊かでいたい。

次、京阪バスで山を一つ突き抜けて、山科地区に来た。

大将軍、坂上田村麻呂の墓。立ったまま平安京を向いて葬られたとある。これだけの人物が、都から山一つ隔てたこの場所に眠っているのは、何か由縁があるのだろうか。旅は、知らないことを知る為でもある。

もう骨も残っていないだろうな。遥か東北の地での活躍が夢のようだ。自らが捕らえて京に連れて来た蝦夷の首長、好敵手アルテイの助命嘆願も叶わず、田村麻呂は都とみちのく、どちらが好きだったろう。

烏丸御池遺跡・平安京跡。ただ地下鉄出口に石碑が一つあるだけ。縄文期からの遺跡らしい。


京名物ネギ焼き、だっけ?夜はこれからだぜ。