よく生きている意味が分からないという人がいる。だがそんなものは、本当は誰も分かってはいない。それどころか何一つとしてこの世の中で本当に確信できるものはない。全ての問いがまだ現在進行形で、全ての問題がまだ確たる論拠をもって確かなものになったことはないからだ。
生きる意味を理解する。いや分かっていくというのは、あくまで自分自身が自分のみに対して使用できる言葉なのだ。
ぼくは若い。だからこの変な大人びた口調で何かを論ずるのが好きだ。
でも、人並み以上には苦しんできたから言える。
生きている意味がないんじゃなくて、生きている意味というのは、いつだって自分が自分自身にしか使えない言葉だから。
生きる意味を教えてくださいというのは、無理なのだ。生きている意味を教えろというのは間違っているのだ。
誰も教えられない。だって君の人生だ。僕の人生じゃない。君が、その人生で傷つき苦しんでいるからこそ出せる答えがあるんだ。それを仮に僕が先に教えたとしてもそれは僕の生きる意味からの助言であって君自身に与えることはできないんだ。あくまで参考までにするなら僕はなんだって助言しよう。
だって君の人生だ。いつだって君の人生は君自身のためにしかない。
よく人のために生きるという人がいる。素晴らしいことだ。
でもそういう生き方ができるというのは自分というものを確かに持っているということでもある。
生きる意味というのはいつだって自分自身にしかつかえない。
君が生きる意味は君が君の人生の中からつかみとるしかないんだ。
じゃあ、どうやったら君が君自身の人生をつかみとれるんだろうか。
一つ言えるのは、君は知らなすぎる。そして知らないが故におくびょうすぎる。
生きるということについてもっと貪欲に知識を集めることだ。知識があると理解ができる。理解ができればみだりに恐れずにすむ。そして恐れずにすむようになれば、心に余裕ができる。そうすれば今自分を追い詰めているものはなにかつきとめられる。
そして一つ一つの君が恐れるものを君の人生からなくしていけばいい。
焦らず、やり方は無限にあるのだ。これは誓って本当だ。
この方法がだめならもう打つ手なし。そんなことはない。それは視野が狭くなっている証だ。
狭くなっているなら広げればいい。確かに言葉でいうのは簡単だ。私自身、逃げ場のない状態で視野も狭くどうしようもない状態に陥ったことがある。
あれはたしかにひどい。自分には生きるための努力さえできそうになかった。それはそうだ。どうしようもなかった。
ただ今これを読んでいる君を救うことはできる。
何が君を阻害する?焦らないことだ。向こうだって馬鹿じゃない。向こうは君が強くなって自分の手に余ることを恐れている。相手が何を恐れているか考えて見よ。そしてどう立ち回ったら自分が有利になれるだろうか。そしてなら自分とはなんだろうと少し考えてみたまえ。
今までの自分はちと消極的やしないか。
何かに阻害されてる君は、人生を本当に生きているとはいえない。むしろ死んでいる。
物事はいつも単純だ。君が君の人生を本当に生きはじめる。それが解決法だ。
今までの君は人生に対して消極的で消耗を恐れるそんな人生だったんじゃないだろうか。
君は自分というものをできる範囲でいいから変え始めればいいんだ。
何かに打ち込んでみる。
君が忘れていた君、見つけてない君を見つけてやろうじゃないか。それはどこかにある。
宝物を探すようにめぼしいところへ行ってみればいい。あるいは、ある一つの本かもしれない。あるいは、自己を鍛えることかもしれない。
なんなのかは君の思うだけあるんだ。
君が忘れていた君、見つけてない君を見つけていった時、君の中で何かが決壊する。自分という壁が壊れて外の広い泉の水が自分に流れ込んでくる。
自己を発見しつづけることは、自己変革につながる。自分がいままでと違う自分に変わるという体験をした時、君はもうそれまでのことで悩むのが馬鹿馬鹿しくなるはずだ。
それどころかもっと自分を素敵にしようと毎日を努力して生きることの大切さを知るはずだ。それは深い喜びさえも伴う。
それが自分を発見するということだ。その時、自分の生きる意味なんかも少しは見出しているんじゃないかな。
だから怖がらないで何かを始めよう。自分を見つけるために。
