今年2月にワタクシ日本に一時帰国
10日ほどしてきました。
2月の雪深い北海道に変える理由があったからなんです。

それは義父に会うためでした。


実父が亡くなったあと、母はずっと一人で頑張って
わたしと姉を育ててくれたんです。
そしてわたしは18歳の高校卒業と同時に実家を出て
自衛隊の寮生活、その後一人暮らしをしていたので
新しい父(義父)とは一緒に暮らしたことがありません。
ですが、小学校にあがるまえから義父とは面識がありました。
言葉を覚えるのが遅かった私は学校に上がる前に
言葉の教室に通わせたのです。
義父はわたしのその先生でもありました。
亡くなった父も義父も同じ管内で教員をしていたので
互いに知っている存在でした。

父が亡くなり17年ほど母は独り身でいたのですが
子宮摘出手術を受けた時に義父は
「退院した後は僕が面倒を見てあげるから
もう働かなくていいよ」とプロポーズしてくれたそうです。

そして母と義父は再婚が決まり17年過ぎました。

昨年、12月父が腹痛を訴え病院に行ったのです。
腹水がたまっていたのです。
そして検査に3週間費やし、結果は胆管、胆嚢癌と診断が出ました。
ドクターは余命1年と家族に告知したのです。

ですので、わたしは5月くらいに飛行機をとり帰国の予定をしていました。
ブッキングの直前再び連絡があり
余命1か月と告知を言い渡されたのです。
そんなわけで、どうしても元気なうちに義父に会いたいと思い
急きょ2月の帰国を決めたわけでした。

わたしが帰国したときは義父はとても調子が良い時期だったそうです。
実は飛行機を取った時から帰国まで2週間ほどあり
家族は「間に合わないかも」と思っていたほど
状態は悪かったんです。
帰国して直接あった父は痩せてベッドから立ち上がれない状態でした。
ほんの少しだけ食べ物をとれて、薬はほとんど飲めません。
血液の数値が悪く抗癌治療は受けれませんでした。
体中が黄色くなって黄疸が出ていました。

母は実家から車で2時間かかる旭川の病院に毎日通い続け、
その後は旭川のホテルを取り毎日病院に行き
介護をし続けました。

そして先週金曜日。
義父は旅立ちました。

昨夜、通夜が行われまだ母は忙しいさなかでしょうから
連絡はしていません。
姉とだけ連絡を取り、わたしは落ち着いたころ連絡する予定。

一時帰国したときに、母とは話し合っています。
「元気なうちに(頭がしっかりしているうちに)会えたから
わたしは満足だよ」と。
母も間に合ってよかったと胸をなでおろしてくれました。
そして
「お葬式にあわてて帰ってこなくても大丈夫。
雪のない温かい時期にお墓参りしてあげたらいいよ」って。

17年間も母と連れ添ってくれた義父のお葬式に
わたしは行かないことを決めました。
ですが、さみしい気持ちはのこります。

ニュージーランドと日本。
決して近くはありません。
身内の不幸もこんなふうにあきらめるのは覚悟していました。
(祖父が亡くなったときはぎりぎりで出棺に間に合いました)

少しでも後悔残らないよう、
一時帰国できるときはかならず家族や親せきを優先して
あうようにしていましたが、
ここまで覚悟を決めていてもやはり寂しいものですね。

そして、なんの手伝いもできないふがいなさも感じます。



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今頃、父と義父は天国で酒を飲み交わしているのでしょうか。
「二人ともダメな旦那だなあ。
また女房置いてきぼりにしてしまったよ」なんて
言っているかもしれません。