最期の職場の同僚だったNさんのお勧めで

「魚河岸・宮武」で新鮮な魚料理を食べて

店を出ます。

 

「魚河岸・宮武」の玄関から南方向を見ると

京都五花街の島原の街並みです。

 

 

L字路の突き当りが島原の角屋(すみや)さんの

奥棟でした、

正面玄関の方に進んでゆきます。

 

 

角屋は、かつて京都・島原花街で営業していた

揚屋(料亭・饗宴施設)です。

 

1589年、初代徳右衛門が

角屋の営業を始めたそうです。

木造2階建てで屋根は切妻造です。

 

 

「新選組刀傷の角屋」・

「久坂玄随の密議の角屋」の碑が

幕末の日本の歴史を感じます。

 

 

輪違屋(わちがいや)さんです。

島原の置屋兼お茶屋です。

現在も営業を続けられているそうです。

 

創業は1688年だそうです。

明治4年に、ほぼ現在の姿となったそうです。

 

 

かつては芸妓等も抱えていたそうですが

現在は太夫のみを抱えているそうです。

 

表に「観覧謝絶」の札があります。

いわゆる「一見さんおことわり」の店です。

 

 

島原の街並みを歩いていると

現在でも色気を感じます。

いつもビジネスホテルに宿泊している私には

日本旅館は風情を感じます。

 

 

島原の街並みを東方向に歩いていると

島原大門(しまばらおおもん)がありました。

花街・島原の東入口です。

 

 

島原大門を潜って色町の外に出ます。

日本初の幕府公認の遊女街の入り口です。

 

周囲を塀と堀で囲み、

大門を一か所に設ける当初の構成は、

江戸の吉原・大阪の新町と同様に、

遊里を隔離し、

遊女を疎外する目的で作られています。

 

現代とは、全く違った世の中でした。

この時代を経て、今があるように思います。

 

(Vol.2994)