神戸新聞文化センターの

兵庫・神戸歴史ウォークに参加してきまhした。

第3回目は、「芦屋川にそって」です。

 

芦屋川左岸にある芦屋市民センターです。

昭和39年の建設です。

60年前に建てられたとは思えない

モダンな建物です。

 

 

芦屋市民センターの前にある

ルナ・ホールです、

昭和45年に建てられました。

コンクリート打ち放しの外壁が印象的です。

 

坂倉建築研究所大阪事務所の

西澤文隆さん・山崎泰孝さんの設計です。

 

坂倉建築研究所は、

モダニズム建築の評価が高いそうです。

一見無機質に見えますが

細部の意匠が良いです。

 

 

内部見学も出来ました。

通路の窓の位置も遊び心があります。

 

 

大きな窓から芦屋川と芦屋の邸宅も

ゆっくりと眺められます。

 

 

3階のベランダから芦屋川の

下流風景も見通せました。

 

芦屋市民センター内部の見学を終え

玄関から出ようとしたら

芦屋市長と偶然出会わせました。

27才の全国一若い市長です。

 

 

芦屋川と芦屋仏教会館です。

 

 

芦屋川沿いにある教会です。

 

 

国道2号線が芦屋川に架かる

業平橋です。

業平橋の名称は、在原業平より

つけられたと思われます。

 

 

 

芦屋警察旧館です。

レトロデザインが目にひきます。

 

昭和2年に建てられ

玄関アーチは御影石で縁取られ

正面のミミズクの彫刻が

町の安全を見守っています。

 

 

 

 

芦屋公園です。

明治36年に阪神電鉄が開通して

昭和40年に芦屋遊園地が開業しました。

 

 

松林の並木路は、都市型公園です。

芦屋の地域おこしは、

芦屋公園(遊園地)から始まりました。

 

 

芦屋公園内にある「ぬえ塚」です。

謡曲「鵺(ぬえ)」のゆかりの地に

ちなんで立てられました。

 

鵺は、頭が猿、胴体が狸、手足が虎、尻尾が蛇です。

この怪物が毎夜御所にあらわれ天皇は眠れません。

 

源頼政が鵺を仕留め、淀川に流しました。

鵺の死体は淀川から大阪湾を漂って

芦屋浜に打ち上げられました。

 

芦屋の村人は鵺をねんごろに葬ったそうです。

 

 

富田砕花(とみたさいか)旧居です。

1934年に作家谷崎潤一郎が住んでいて

松子と婚礼をあげた屋敷です。

 

1939年に詩人富田砕花が市内から移り住み、

終の棲家としました。

土曜日は内部の観覧ができない日でした。

 

 

緑の多い芦屋の町を

ゴールのJR芦屋駅にむかって

北上してゆきます。

 

 

旧宮塚住宅がありました。

戦後復興期の深刻な住宅不足として

建てられた元芦屋市営住宅です。

凝灰岩による石造の外壁です。

 

平成29年に市営住宅としての

役目を終えました。

 

耐久改修工事と内装のリノベーション工事を経て

ものづくり職人や紅茶専門店に賃貸して

新たな役割を持ち、運営が続けられています。

 

芦屋は高級住宅街のイメージですが

戦後の歴史もかかえつつ、

時代に対応した街に変化しています。

 

金持ちの町だけではない

一般の人も寛げる

静かで安心の町になっています。

 

(Vol.2993)