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『聖徳太子のゆかりの寺院をめぐる③聖徳太子の生涯・伝説・信仰~聖徳太子の生涯』

の講座がありました。

早速申し込みをして受講してきました。

 

講習会場は大阪梅田の阪急グランドビル30階でした。

阪急電車梅田駅からコンコースを歩いてゆきます。

 

 

前回の滋賀近江編に続いて、

今回は「太子にまつわる伝説・播磨編」です。

 

講師は阪急交通社添乗員の泉本由紀さんです。

泉本由紀さんの講習は数回受講しています。

 

太子にまつわる伝説・播磨編の1つ目は、

加古川市の鶴林寺です。

 

鶴林寺には、平安中期に作成された

「聖徳太子伝暦」からわかりやすく描かれた

「聖徳太子絵伝」全8福があるそうです。

南北朝時代に作成されたそうです。

 

「聖徳太子絵伝」1~2福には

善光寺如来縁起が描かれているそうです。

 

長野善光寺の本尊「一光三尊(いっこうさんぞん)阿弥陀如来」は

552年に百済から伝来した日本最古の仏像です。

 

排仏派の物部氏によって難波堀江に打ち棄てられました。

物部氏との戦いの後、聖徳太子が仏を引き上げにいくと

仏像からまだ早いと断られました。

 

信濃国国司の従者として都に上った

本田善光が、難波堀江にさしかかると

多くの衆生を救う為に東国に下ると告げられました。

 

644年に皇極天皇が伽藍を造営して

長野善光寺になりました。

 

「聖徳太子絵伝」3福では

聖徳太子の前世は中国南岳衡山(なんがくこうざん)で修業した

天台宗の始祖・慧思(えし)の七度目の転生が描かれています。

 

「聖徳太子絵伝」4福では

聖徳太子の母が、観音菩薩から頼まれて懐妊し

厩戸の前で誕生したことが描かれています。

5才~12才に太子の講教に心打たれる臣官・

11才の時、何人もの人の話を聴き分けることが描かれています。

 

「聖徳太子絵伝」5福では

崇仏派の蘇我馬子と廃仏派の物部守屋の合戦が描かれています。

 

 

「聖徳太子絵伝」6福では

崇峻天皇の暗殺事件が描かれています。

 

「聖徳太子絵伝」7福では

聖徳太子が黒駒に乗り富士山に登り

越前・越中・越後を巡って帰ってきたことが描かれています。

富士山に登った時、磯長の地を廟地に選定されたそうです。

磯長の地にある叡福寺です。

 

42才の時片岡山で飢人を助けます。

その飢人は、達磨大師だったのです。

 

「聖徳太子絵伝」8福では

聖徳太子と妻・膳大郎女(かしわでのおおいらつめ)が

亡くなります。

太子逝去後、聖徳太子一族滅亡します。

その後乙巳の変がおこります。

 

聖徳太子と播磨のつながりは

585年聖徳太子12才の時恵便法師の教えを受ける為

播磨(加古川)へ行きました。

 

蘇我氏と物部氏の闘いで崇仏派の勝利で

加古川に鶴林寺の前身刀田山四天王寺聖霊院を建立します。

 

もうひとつの聖徳太子と播磨のつながりは

606年聖徳太子が推古天皇に勝鬘教と法華経を講説して

播磨国に水田百町を賜ります。

この地に、法隆寺の荘園「鵤荘」を建立します。

のちの兵庫県揖保郡太子町鵤の斑鳩寺です。

 

聖徳太子が播磨に伝わる伝説の話を

勉強しました。

 

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(Vol.640)