兵庫・神戸歴史ウォークに参加しました。

第6回目は、「吉田遺跡とその近辺の史跡を巡る」です。

 

集合はJR西明石駅東口です。

12時50分に改札前に集合です。

講師は、神戸歴史クラブ副会長・大木久先生です。

 

 

手柄駅から徒歩10分で

鳥羽八幡(とばやはた)神社です。

 

山陽新幹線の高架線路の下を

西方向に歩きました。

 

1184年創建の歴史ある神社です。

白い大きな鳥居です。

 

 

銅版葺の鉄筋コンクリートの立派な社殿があります。

新しい建物のようです。

 

 

主祭神 仲哀(チュウアイ)天皇です。

配祀神は、応神(オウジン)天皇・神功皇后(ジングウコウゴウ)です。

 

仲哀天皇・神功皇后の御夫婦と

子供の応神天皇を祀る神社です。

古代史のヒーローたちです。

 

 

新幹線の高架線路をさらに進むと

慈泉寺(じせんじ)がありました。

臨済宗妙心寺派の寺院です。

 

 

1254年に法燈国師が創設したそうです。

村民は、井戸がなく苦しんでいた時

和尚が鍬を下ろすと清水が湧出したそうです。

慈泉寺の名前の由来です。

 

 

王塚(おうつか)古墳です。

前方後円墳です。

(前方部分です)

 

被葬者は明らかでないそうですが、

宮内庁により「玉津陵墓参考地」

(被葬候補者:第31代用明天皇皇子当麻皇子妃舎人姫王)として

陵墓参考地に治定されています。

 

用明天皇の子供(聖徳太子の弟)の妻(妃)の墓かも知れないので

宮内庁管理になっていると思われます。

 

最近、徳永真一郎作「聖徳太子」を読みました。

推古天皇の時代に当麻皇子(聖徳太子の弟)が征新羅将軍として

出征する際に付き従ったが、

その途上の播磨の赤石(=明石)で薨じ、

赤石の「檜笠岡の上」に葬られたそうです。

 

王塚古墳が宮内庁により

陵墓参考地に治定されたのは、

その墓に擬されたことによるようです。

 

 

王塚古墳後円墳部分です。

 

王塚古墳は舎人姫王のはるか以前(5世紀初頭)の

築造になることは明らかだそうです。

舎人姫王は本古墳の被葬者として不適当そうです。

 

一度宮内庁管理になると

説の撤回は、非常に困難なようです。

被葬者は明らかでないまま時代は過ぎてゆきそうです。

 

 

王塚古墳の横に

玉津土地区画整理事業完成記念碑がありました。

立派な石です。

 

神戸市長の名前が「宮崎辰雄」さんになっていました。

昭和50年当時神戸市は「株式会社神戸市」と言われ

革新的な市行政を評価されていました。

 

私が阪神間に住み始めた頃です。

懐かしさを感じました。

 

(Vol.2954)