創氏改名1(日本の植民地統治論) | 楚と鶴

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「楚」とは北斜面(日が当たらない場所)で咲く棘のある花のことです。
文鮮明先生のすばらしいみ言葉を掲載していきます。

日本の情報しか知らないし、流さないマスコミが自画自賛の日本社会を作っています。
大阪の世界平和連合では同志社大学の教授をお招きして「日韓の歴史認識の違い」を学んでいます。
今回「近代史」の真実について教えていただきました。
「「日本の植民地統治論」というものが明らかに存在していて、その重要政策として行われたもの。」と教えていただきました。

それについて調べていると
「創氏改名」についての韓国の方のブログを見つけました。
창씨개명」で検索していただくと韓国人の側の論調がすぐわかります。
そして一部翻訳しました。
「嘘」と思う人は思ったらいいと思います。
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http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/286081

日本帝国主義が朝鮮で実施した植民地政策のうち、皆さんもよくご存じな‘創氏改名’があります。

当時朝鮮の人に自身の固有な名前の使用を禁止させて日本式姓と名前に変えるようにしたことでした。 創氏改名は、1939年から準備が始まって、1940年2月11日から6ヶ月間にかけて強行されました。 これは悪名高かった関東軍司令官出身で当時の朝鮮総督だった南次郎の指示で‘朝鮮人のからだも心も皇国臣民になるようにして、電源戦争に動員すること’が目的でした。 このように‘からだも心も皇国臣民’になるようにさせるといって内鮮一体うんぬんしたが事実は最後まで朝鮮人の戸籍と日本人の戸籍は別途取り扱いました。

創氏改名は結局約80%の朝鮮人が申告しましたが、初めて3ヶ月の間に申告した人はわずか7.6%に過ぎませんでした。 1940年という年は、当時の日本で話すいわゆる、‘皇紀’というカレンダーで2600年であり、朝鮮総督府はその年を記念するためにより一層急ぎました。 それで総督府行政機関は休日を返却して窓口を開けておいていたが初日の申告は朝鮮全体でわずか48件でした。 創氏の申告はオーストラリアにだけ権利があって、当時の朝鮮の総湖は約400万戸だったので、資格がある人の8万人中一人ずつで初日に申告したという結果でした。 一日中待っても一人もこない結果で終わった官公庁も多かったことでしょう。 これは創氏改名に対する朝鮮人の拒否感を現わしたことでした。 だが始めて6ヶ月にかけて結局は大部分が申告したというのは総督府がかなり強圧的な方法を使ったことを十分に想像できます。

ところで‘創氏改名’という話のうち創氏と改名は内容が違うものでした。 当時、朝鮮人に一律的に強制した‘創氏’とは違って、‘改名’は任意でした。 創氏は姓を新しく作るということだったし、改名という(のは)性でない名前を日本式に変えることでした。 例えば、昌鎬(窓戸)という名前のうち、鎬という字は日本の名前には使わないことであるから似た字である‘コ’切る使って、昌高(マサタカ)に変えるのは、‘改名’でした。 ところでこの改名は、申告することだけで認められる‘創氏’と違って、裁判所による許可制であり、手数料まで出すようになっていました。 結局、任意事項だった‘改名’をした朝鮮人は創氏改名期間が終わった時、全体の9.6%に過ぎませんでした。 すると冒頭で全体朝鮮人の約80%が創氏改名をしたとマルスムドゥリョッスムニマン、残りの20%の人々は最後まで自身の名前を守って(例)キム・チョルス、イ・チャンホ、パク・スンボク等で生きたかとすれば必ずそうでもありません。 朝鮮総督府の発表によれば創氏改名率は100%です。

その理由は二種類です。 先に当時朝鮮とは違って日本は妻は夫の性に従うことになって姓氏が変わります。 それでご主人夫、例をあげて金チョルスさんが金本(カネモト)という姓氏で創氏改名申告をすればその婦人であるパク・スンボクさんは自動的に‘カネモト・スンボク’になりましたよ。 また、一つは韓国姓氏のうち日本語にも読むことができる姓氏はそのまま日本語読み取りで‘自動申告’処理されました。 例えば、南(ミナミ),林(林),柳(柳)等でした。 このような形で100%達成だと朝鮮総督府は自負(?)したことでした。

創氏改名比率が‘100%’という結果に対して朝鮮総督府が結果をねつ造したのではないかとの疑問を持つ方もあるでしょう。 だが、このような記録はある程度の信憑性がある資料だと考えます。 それは皆さんの想像とは違って日本帝国主義が朝鮮を植民地で支配して徹底的に‘日本化(自国化)’するために相当な努力(?)ウルしたし朝鮮に対して詳細なことまで全部記録で残ることで分析をしたためでしょう。 一つ例えば申し上げれば私知人が植民地時期朝鮮の農業問題に対して研究をしながら日本の東京大で博士論文を準備したが自身が使おうとするテーマはすでに植民地時期そしてその後に数十人の日本研究者がすでに研究しておいた分野で使うことはできなくて、テーマを変えてもやはり植民地時期の朝鮮に対しては新しく食い込む分野がなかったといいます。 これらの朝鮮総督府資料を私も調べたことがありますが、朝鮮の国土、自然、資源、個人の情報、文化、民俗、信仰に達するまで整理されていましたよ。 分かること簡単に言えば、植民地朝鮮の○○も○○グン△△ならば**リに住んでいた朝鮮人海苔◇◇種の家系から一生働いてきた職業、彼が一生納付した税金、各種公課金、電話局で送った電報の内容、家族関係、交友関係、せめて酒癖まで知ることが出来るように整理されていて、このような資料が膨大な量で保存されていました。

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このような内容が明らかに書かれています。
こちらの方が理路整然としています。

ウィキペディア日本版
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E6%B0%8F%E6%94%B9%E5%90%8D

ここにはなんでそういうことをしたのか?そもそもの理由がありません。
歴史に疑問符を打つ、という卑劣な日本のやり方が残念でなりません。

この同志社大学の教授はとても教え方が上手です。

大阪壮年の方100名程度集まって勉強しています。世界平和に向けて始動しています。
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↑上記ビデオの最後の映像をよく見てみると
「我が国はアジア州の東部にあってその領域は日本列島・朝鮮半島・関東州・南洋諸島などである。」とはっきり書いてあります。

こんなことは日本政府が明らかにすべきことです。
隠蔽はやめましょう。

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全ての努力していらっしゃる統一家の皆様、

読者の方に感謝申し上げます。




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