師観さん、何を勉強してきた?もっと勉強していただきたい。1 | 楚と鶴

楚と鶴

「楚」とは北斜面(日が当たらない場所)で咲く棘のある花のことです。
文鮮明先生のすばらしいみ言葉を掲載していきます。

師観さんのブログにコメントできなくなっているようです。

師観さんは献身して50年ほどになるということです。

8月22日初めてブログを訪れましたが、「もっと勉強していただきたい。」という思いがふつふつ沸き上がりました。
8月22日師観さん、もっと勉強していただきたい。
み言葉選集311巻p291、1999/9/13のみ言葉を引用しているようでありますが
全くそんなことは書いてありませんでした。

私は韓国語が読めますがそうコメントしたところ「再販されたものでは?」とか答えられました。
自分で調べずに書いているのです。
なんと軽い人なんでしょうか?
自分で調べもしていないことを書くなんて?ありえないことです。

しかも「そんなことが至る所に書いてある」、とのことです。自分で調べてもいない、韓国語も読めないのによくそんなことを・・・。タイトルは「ここまで落ちたか、・・。」師観さんはそんなことしゃあしゃあと言えないでしょ。
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8月29日
【コメント】
神の国はどこへ行ってしまったのか?←この言葉の意味が分かりません。

師観さんは何しに教会へ来られたのですか?
我々は教会(理想社会)をつくるために集っている集団です。「み旨の道」という本はご存知ですか?そこに書いてありますよ。

師観さんの理論では神の国をどこに作ったのですか?作ったから過去形の「神の国はどこへ行ってしまったのか?」なんですよね。
あなた以外の日本の教会員はまだ2世が精一杯です。3世なんてほとんどいません。そうしたら長生段階です。完成段階は迎えていません。だからまだ途上段階です。
みんな作っているんです。作ろうとしているのです。
その一言でみ言葉の理解度がわかります。もっと勉強しましょう。「神山さんもそんなことビデオで言っていました。」思わずため息が出ました。

共産主義の理論が出ていますが共産主義は原理ときわめてよく似ている理論です。我々の統一理論の成分合理論と共産主義成反合理論の違いがあり愛で一体化するのか?闘争で一体化するのか?という違いがあります。
 共産主義の中にも「やってくれない1000人よりもやってくれる1人が貴重」というみ言葉と一緒の現象を記帳ししている事実があります。
すなわち中途半端は神主義も共産主義も使い物にならないという共通事項があります。

使い物にならない人は神もサタンもいらないのです。原理もノアが失敗したらいとも簡単にアブラハムに移りました。本当にそのような原理に書いてあることや共産主義を理解してブログ等書くようにしなければ何の意味もないブログになります。
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9月2日
【コメント】また違うことを・・
神は人間の堕落の責任は取られていません。
再臨主がとってくださったし、我々はまだ堕落の責任を取らなければならない段階です。

神は人間の堕落の責任は取れません。堕落論、「神が堕落行為を干渉し給わなかった理由」の中に書かれています。熟読してください。
まちがわないように記述しましょう。

我々の教理、マルスムには「常に自己批判はしなければならない、」と書いてあります。勘違いしている先輩が自己批判していないだけです。それがわかっていないあなたが教会全体で自己批判しないとおっしゃるのはおかしいです。(1970年3月22日 祝福 本文20行目見てください
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【コメント2】
◎『普通、長の立場にある者は誰でも、自分の不徳のせいで、このような状況になってしまいましたというものですが、それが出来ないのがUCの特色なのです。』
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堕落性を備えている限り無くせない問題と考えます。教えではそういう態度はいけないとなっていますが今までの責任者はできなかったんでしょう。責任者、運営している方どちらも「個人の教理の理解度」というものが基本になっているのだと思います。


◎金孝南氏は、現在どのような自己反省し、摂理推進のため是正処置を取られているのかという疑念にも繋がります。
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逃げ口上のつもりはありませんが、「先輩家庭の責任的地位に立たされている人が・・・」と言い出したらきりがありません。

幸いにして我々はまだ途上段階です。しっかりと原理を勉強し、自己反省、し人類想像理想を持たれている神様とそれを理解して我々にできることはしっかりやっていく、ということが大事だと考えています。

過去先輩たちは貢献もしていただきましたが考えられないような間違いや失敗もされてきました。
2世が少なすぎるという現実がそれを物語っています。

結果が物語っているのです。手本のような家庭でない限り誰もついていこうとしないのは現実です。そのことで子供さんが大きくなり家庭として「祝福を受けたというには程遠いレベルの家庭」もありますね。そこで審判は誰も言わなくても受けられています。

 しかし本当の家庭を作り上げている人は末端であろうと新しい家庭であろうと「お手本にしよう。」とだれかれとなく思うようになります。家族そろってみ言葉訓読している幸せな家庭がお手本です。
我々が持つべきものは我々の各家庭がどうであるのか?常に自己反省して向き合って理想家庭を作り上げることがご父母さまに対する貢献度として評価されるべきことでしょう。
当然「親ならば家庭内で子供に対して謝る場面」は必ず出てきます。
そうすれば自動的に理想天国はできるということは誰でもわかりきっています。家族の中のことが他人にも反映されるとわかっています。
祝福を受けていても「謝らないから理想天国が来なかった。」ということは誰でもわかっています。だから自分が謝る社会を作らなければならないとわかります。
最短に理想天国にするために自分はどうしているのか?ということを常に考えれば、誰がどうした、こうしたとはあまり考えなくても済みますよ。

「祝福を受けたというには程遠いレベルの家庭」を増産したいのであれば先輩家庭を見習うべきでどうだこうだというべきだと思います。
拙書ごめんなさい。
2016-09-03(10:20)
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またおかしなことが書いてあったらシリーズでブログにしたいと思います。
原理を学んでない、韓国語も学ばなかった理解もできていらっしゃらない方に惑わされないよう皆様に御提示させていただきます。<
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全ての努力していらっしゃる統一家の皆様、
読者の方に感謝申し上げます。




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