その時は、季節が変わろうとしていた6月も終わり。
少しずつ車椅子も自分で漕げるようになり、病院の中なら大抵の場所は行けるようになった。
ベッドから車椅子もベッドに器具をつけて、滑りやすくするシートを着ければなんとかかんとか移譲もできるようになってきた。
でも
足りない
動き回って、遊びまわって、はしゃぎ回った2ヶ月前。
またあの頃のように生きるには
こんなんじゃ足りない。
全然ダメだ、足りるわけがない。
もう事故から2ヶ月が経とうとしてるのに、自分は何も出来てない。
リハビリも表面はやる気になってみるが、なんというか芯が入らない。
「自分なんかもう終わりだ」
「何も、これからは何も成す事は出来ない」
どこで何をしていても心はどん底にいた。
心が ドロドロとした 何かに 囚われて 苦しい
ドン底にへばりついた心は、何をしていてもまるで他人の人生を生きているようでフワフワと実感のない日々を過ごしていた。
そんな中、他の病院に2週間ほど短期転院していた宮本さんが戻ってきた。
↑エレカシの宮本さんに似てるちょっと怖い感じだけどプレゼント好きの宮本さん
https://ameblo.jp/goodlack0421/entry-12340026076.html?frm=theme
詳しくは以前書いたこの記事で。
いつもちょっとチクリとトゲのある感じの宮本さん、それでも戻ってくるとみんな嬉しいのは宮本さんの人柄のおかげなんだと思った。
自分はというと本当にこの時は心が無気力で、
「あー、宮本さん帰ってきたんだぁ」
といったどこか浮ついている様な調子だった。
帰ってきた宮本さんが洗濯をするというのでもう一人の患者さんと3人で洗濯室へ
この病院、元は全くバリアフリーだった訳ではなかったので洗濯室に行くためにはちょっとしたスロープがある。
段差を無理矢理スロープにしたため、助走をつけないと上がるのがキツイ
自分が自力のみでそこを超えられるようになったのもつい最近のことだった。
助走をつける、スロープの坂に入ると筋肉の弱い左手はプルプルと震える。
他の人の3倍ほどの時間をかけてスロープを超えると、宮本さんがジッとこちらを見ていた。
???
「だいぶ動けるようになったな」
宮本さんが少し驚きながら、でもいつものチクリとくる一言を言う時の様に笑いながら、そう言った。
その瞬間、ドン底にへばりついていた自分の心が
ふわりと
浮き上がった。
ヘドロの中に寝そべっていた心がほんの少し、でも確実にそこから剥がれた。
その後は予想外の一言と、心の変化で自然とにやける顔を抑えながら宮本さんとテンパって話していたと思う笑
あとあとになって思えば、ただただ純粋に嬉しかったんだ。
親から言われても、看護師さんやリハの先生、他の患者さんに言われても全く響かなかった言葉
どうせお世辞なんだろう
リハビリを続けさせるために言ってるんだろう
ほんとは、何も進んでなんかいないのに。。。
もう何も成せないと思っていたこの頃の自分は、誰の言葉も素直に受け取ることができなかった、気付かないうちに出来なくなっていた。
そんな自分をドン底から剥がしてくれたのは、間違いなくこの時の宮本さんのこの言葉だった。
お世辞を言わない宮本さんの言葉に心を救われた。
「こんな自分でもまだ人を驚かせる様な成長が出来る、出来た」
自信も希望も何もかも失って自分の将来は真っ暗としか思えなかった自分が、宮本さんのたった一言で一気に視界が開けた。
その後の自分はずっとニヤケていた、我慢しようと思っても広角が勝手に上がってくるのだ笑
自分はまだ出来る
自分はまだ出来る
自分はまだ出来る
その言葉がずっと頭で響いていた。
事故から今まで、
「ターニングポイントはどこだったか?」
と聞かれたら、間違いなくこの宮本さんの一言だったと今でも確信している。
あのドン底からフワリと心が浮き上がった時の言葉で言い表せない気持ちは、自分の人生の宝物だ。
