【作品情報】


元フィギュアスケート選手トーニャ・ハーディングの半生を映画化。ラヴォナ役のアリソン・ジャネイが第90回アカデミー賞助演女優賞を受賞した。



【あらすじ】


フィギュアスケート選手トーニャ(マーゴット・ロビー)は母ラヴォナ(アリソン・ジャネイ)の虐待から逃れるように初めての恋人ジェフ(セバスチャン・スタン)と結婚するが、彼からも暴力を振るわれるようになる。選手に理想の家庭像を求める協会からの差別に苦しみながら、アメリカ人女子選手初となるトリプルアクセルに成功。しかし、ライバルのケリガンが襲撃されてオリンピック選考大会を欠場した事件の容疑者としてジェフが逮捕され、トーニャにも疑いの目が向けられる。



【感想】


リレハンメルオリンピックに出場するアメリカ代表選手が決まる全米選手権で、公式練習を終えた金メダル候補のケリガンが膝を殴打されて欠場。氷上の妖精タイプだった彼女に対して素行の悪いライバルのトーニャが優勝しましたが、彼女の元夫ジェフが容疑者として逮捕されたことでマスコミの標的に。未だにトーニャのイメージは悪く、彼女を描く本作に楽曲提供を断る会社ばかりだったのだとか。わたしは当時まだ生まれていませんが、日本でも偏向報道がされたようです。


そんなナンシー・ケリガン襲撃事件を描いた本作ですが、真相には迫りません。冒頭でトーニャ、ジェフ、その友人ショーン、ラヴォナ、コーチのダイアン、つまりトーニャ側の人たちへのインタビューに基づいていると明言されます。しかし、彼らの言い分は食い違いだらけで、それらをそのまま映像化していくのです。ジェフがインタビューでDVを認めつつトーニャもショットガンを撃ってきたことを話すと、彼女が撃ちながら第四の壁を破って反論するといった調子。スピーディな編集も相まって、良質なコメディに仕上がっています。


しかし、トーニャの半生は悲惨で、幼少期から暴力と罵倒の中で育ちました。ラヴォナはフィギュアスケートに憧れるトーニャをトップコーチであるダイアンのもとへ連れて行きますが、厳しい指導を受ければ諦めると踏んでのことです。ところが、トーニャが意外な才能を見せたため、猛特訓を開始。ウェイトレスの少ない給料からレッスン代を捻出し、トーニャをトイレにも行かせません。実際にラヴォナの虐待は周囲の目にも明らかでしたが、通報すると天才少女トーニャが施設に入れられてフィギュアスケートをできなくなるため、誰も通報しなかったそうです。


ラヴォナはトーニャが怒りをパワーに変えていると信じ、トリプルアクセルを披露する直前でさえ男性を雇って彼女を罵しらせます。わたしも母から虐待され、今でも彼女は自分が厳しく育てたから娘が成長したと信じています。もし虐待が子どもを強くするならば、虐待された子どもはそうでない子どもより生存率が高いはずですよね。虐待が子どもを強くするのではなく、強い子どもが虐待を生き抜いているだけです。


学校へ行きたいと懇願するトーニャを、ラヴォナはレッスンがあるからと張り倒します。わたしも母から様々なことを禁じられ、社会との繋がりを断たれました。すると、独り立ちできなくなり、虐待から逃れられないのです。そして、加害者に依存しなければ生活できない自分を異常と感じ、虐待されても仕方ないという意識を根付かせます。トーニャはナイフを投げられてようやくジェフのもとへ去りますが、彼も自分に頼るしかないトーニャに暴力を振るうようになりました。しかし、トーニャは劣等感をラヴォナに植えつけられたため、自分が悪いと考えます。彼女がお金に困った際にスケート技術を活かした高収入の仕事ではなく憎き母と同じウェイトレスのバイトをするのは、それしか知らないからでしょう。


常に劣等感に苛まれ、良家の子女ばかりのフィギュアスケート界でいわゆるホワイトトラッシュ(白人貧困層)の出身であることを気に病み続けるトーニャ。ジャンプに失敗するという誰にでもあるミスでも、過度な自責の念にかられます。そして、ダイアンにブレードを投げてしまいます、まるで自分にナイフを投げたラヴォナのように。わたしも友人から悪意ある言葉を繰り返され、暴言を返してしまったことがあります。ついカッとなることは誰にでもあると思おうとしましたが、自分が母に似ていることに絶望しました。


それから自分が将来母のようになるのではないか、自分の子どもを虐待するのではないかと考え続けています。虐待の辛さを知っているからこそ子どもを愛そうと思っていますが、その方法が自分にはわからないのではないかと不安で堪りません。だからこそ、本作のラストで提示されるトーニャの「今は良き母親であることを知ってほしい」という言葉はあまりにも切実で、涙が溢れました。


ラヴォナはトーニャが全米選手権の演技後に見せた笑顔に罪の匂いを感じ取り、事件の証言を騙し録ろうとします。しかし、その笑顔の裏にいたのは、罪悪感に苛まれる少女でした。このように人、そしてマスコミは物語を作ります。本作もトーニャの物語に過ぎず、真実はわかりません。本作が描いたトーニャ像は実際と違うという批判がありますが、本当のトーニャなど誰にわかるでしょう。確かなのはトーニャがトリプルアクセルを跳んだこと、そしてこれが彼女の物語ということです。