業務連絡的な更新
世の中、突然現れたウイルスによって、生活が少し変わってしまった。
外へ出るときはマスク着用
ソーシャルディスタンス
消毒ボトルが店頭に置かれ、消毒したり
小まめな手洗いうがいが欠かせなかったり

海外へ行くのも入るのも以前のようなスムーズさがなく、手続きや隔離期間が発生。
おかげで、海外ロケが中心のTV番組が無くなって、警戒宣言で県外へ出ることを自粛させられ、都内の人が手頃に旅気分を味わえると
自分達が住むところをTVで紹介されることも増えた。

あと、このウイルス禍の前に、ちょうど日本の秘境的な集落が紹介される番組があったので、類似番組も増えてきた。
その秘境番組系でちょくちょくでる言葉が「仙人」
今夜もそんな番組を見てて、ふと思い出したので
書き記すことにした。



義父母が住む山奥の家の向かいに、義父方叔母所有の家がある。
叔母は市街に住んでいるので基本は空き家だが、たまに大規模工事の関係者などが数ヶ月間借りたりしていた。
ところが数年前に義母方叔父がやってきた。
実は結婚してから、うっすら噂を聞いていたが
この時、初めて会うことになったのだ。
(ちなみに義母には、もう一人兄弟がいるのだが、それも他言無用であるという、結婚当初、旦那に知らされたが、それすら秘密にされた)

その叔父は大人しい性格ではあったが、お酒が好きだったらしく、心臓に疾患を抱えていた。
そして、引っ越してきた当初、義父に紹介されて働いたものの、色々とあり辞めてからは、時折買い物に出る以外は、家の中に引きこもっていた。

そんな様子を、義母から愚痴として聞くことも、私の義父母宅へ行ったときのお役目ではあったが
叔父に会うことは無かった。むしろ、私達家族がいると、居づらいようでこの数年間であったのは2、3回、、ほどだったように思う。

一番最近に会ったのも一昨年ぐらいなのだが
この時、会った私達は驚いた。
初めて会ったとき、まだ義父母に較べて若く見えた叔父は、すっかり頭髪が真っ白になり落ち武者のような髪型になり、義父のお下がりの作務衣を着て、まさしく「仙人」に成り果てていたのだ。
少し痩せたようにも見えたが、それは動かないので、つまみ程度の軽食でお酒を飲む生活のせいかな?と思っていた。

その後、義母から聞く叔父の話は相変わらず良い物では無かった。
年金をお酒やパチンコで、ついつい使ってしまうからと、義父母で管理していたのだが、ちょっとした喧嘩で、その管理を放棄したのを皮切りに
携帯を解約し、年金を必要最低限の生活費にして
義父母が管理をしていた頃に貯蓄してたお金を、使いきってしまったのだ。
どうしようもないわと、嘆息混じりの義母の話を聞いたわずか数ヶ月後


叔父が倒れた。
頭は確りしていたが、全身不随に
そして、入院した際の検査の数字が思わしくなかったのと
叔父の体調自己申告で見つかった末期癌。
身体中に転移して、医師から余命宣告をうけた。
この時、ちょうど新型コロナウイルスの流行が始まり、見舞いが禁じられ、なかなか私達はお見舞いが出来ず結局はしないまま
救急車で運ばれた病院から緩和病棟もある療養型の病院へ移って間もなく、亡くなった。

この時世、葬儀は義父母で執り行い、私達家族は、ほとんど縁がなかったので、参加しなかった。

旦那はお線香を上げてきたが、私が同行する時は、大抵大急ぎで自宅へ戻らねばならないときで
まだ何も出来てないけど、いつかゆっくりお線香を上げられればと思う。

と言うことで、今年は何気に喪中だったりする。