持病の癲癇の原因、「海馬硬化症」の疑い
医師「本来 学習に支障を来すはず」と驚嘆
私は平成二十年、高校入学と同時に入信
させて頂きました。
知能問題が窺われ
イジメを受ける
入信以前の私は幼いころから病弱で、三歳ごろまでは言葉を発することもできない等、知能
の問題が窺われ、幼少期からイジメを受けておりました。
そのような私に対し、両親は常に勤行を励まし、私の手を引いて日曜勤行に連れて行ってくれました。
弁護士に❢
すると、小学校高学年のころから成績が
急激に上がり、中学受験においては志望した
中高一貫校に合格し、また高校生になってよりは、御奉公と学業を両立していくと、中央大学
法学部への合格が叶ったのでした。
その後、支隊副長として広宣流布の戦いに
連なる中、令和二年には司法試験を受験しました。他の受験生と比べて勉強時間が短く、模試
において一度も思うような結果が出せていなかったにもかかわらず、なんと試験に一発で合格し、晴れて念願であった弁護士になることが
叶いました。
これら頂いた大功徳を多摩会館御入仏式・
総幹部会と、二度にわたり浅井先生の御前で
登壇発表させて頂けましたこと、今生人界の
宝であります。
さらにこのたび、これまでの展開が決して
当たり前ではなかったことをいっそう実感する
出来事がありました。
持病の癲癇で
転重軽受の大功徳
私は大学時代からたびたび目眩に悩まされて
おりましたが、平成二十九年に激しいてんかん
発作を起こしたことにより、目眩の原因が
てんかんであることが判明し、その後、抗てんかん薬を服用することで、悩みであった目眩の
症状が安定し、その後、約七年間にわたり同じ
抗てんかん薬の処方を受け続けておりました。
てんかん発作を持つ患者、薬を服用していても症状が安定するとは限らず、時には病状に
対応するため薬の種類や服用量を変更し、それでも病状が安定せず苦しむ人もおりますが、
私においては発症時から現在に至るまで同じ薬
で生活を維持できており、転重軽受の大功徳を
実感しております。
最先端の医療機関
を受診
そのような中、突如通院先の医師から
国立精神・神経医療研究センターという病院での診察に勧められ、受診することにしました。
医師によると、この病院では、てんかん発作
治療に関する最先端の研究が行なわれており、
一度受診して治療方針を見直すべきとのこと
でした。
私は、何か重い病を抱えているのかと不安にもなりましたが、いかなる診断結果が出よう
とも大聖人様にすべてをお任せする思いで
受診を決意しました。
「海馬硬化症」の疑い
紹介状をもらい、いざ診察を受けてみると、
センターの担当医から驚くべき内容を聞かされました。
私の脳のMRI画像を見ると、なんと左脳の海馬に何らかの原因によりダメージを受けた痕跡
があり、おそらくこれは過去のてんかん発作に
よるものと窺われました。
海馬の異常に伴うてんかん発作を発症する場合、「海馬硬化症」という国指定の難病の可能性があり、私の場合も、これまでの目眩において感じていた腹部の不快感等の症状が、海馬硬化症の特徴と合致していたことから、担当医は
明言しなかったものの、この難病ではないかと
推測されました。
脳の海馬は通常、短期記憶などを司る非常に
重要な器官であり、異常があると記憶障害等を
引き起こし、暗記が困難になるだけでなく、
日常生活にも支障をきたすものであります。
担当医によると、このような状態では、本来
もっと発作が頻発し、生活や学習等に支障を
きたすはずであるとのことでした。
しかし私の場合、学習に支障をきたすどころか、むしろ御守護により弁護士になり得た経緯
を担当医に話したところ、担当医はたいへん
驚いており、私が司法試験に合格できたのは、
「恐らくダメージを受けていない右脳海馬が、
何らかの形で左脳海馬の不足する能力を補って
いたのではないか」との見解を述べておりました。
「手術の必要なし」
また、海馬硬化症では異常のある部分を切除
して症状が改善されるケースがあるようで、今回の診察時に、いつも診てもらっていた通院先
の担当医も、私が海馬硬化症を発症している
可能性があるため手術を受けるべきと考えて、
国立精神・神経医療研究センターを紹介して
いたことがわかりました。
しかし私の場合、平成二十九年以降、発作が
全く起きておらず、疲労時に目眩を起こすていどだったので、センターの担当医は「手術の必要はない」と診断し、リスクを伴う海馬の手術を回避することができたのでした。
冥々の御守護に
むせび泣く
今回、突如 最先端の医療機関において診断
を受けることになり、その結果、長きにわたり
大聖人様に冥々のうちに守って頂いていたことが明らかになりました。
そして幼少のころから知能に難があった私が、大聖人様より頂く大功徳により宿命転換させて頂けましたこと、先生の弟子になり得なければとうていあり得なかったと、むせび泣く思いになったものであります。
されば、「原点の月」八月、頂いた功徳に決して甘えることなく、◯◯班も生まれ変わった姿を以て、霊山よりお見守り下さる浅井先生に
お応えしてまいる決意であります。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
また、どうぞよろしくお願いいたします。