西日本新聞に4月から第3日曜に「校長ちゃん」の「それでよかよか」が連載されています。
5/17のを紹介
子どもの邪魔をしない それでよかよか
大人は良くも悪くも「子どものために何ができるか?」を考えます。考えると言うよりも、それに苦悩と葛藤を覚えながら子どもと接しているのではないでしょうか? 教師という立場でありながら、この自問自答がクリアになったことなど一度もありません。ただ最近何となくたどり着いた答えが、「何ができるか?」より「何をするべきでないか?」の方が、本質に近いような気がしています。
入学間もない1年生が、泣きながら校長室を訪ねてきたことがありました。何があったのかと身構える私に、彼は「友達とけんかをしてしまいました」と涙ながらに話し始めてくれました。続く言葉に今度は私が深を流す番でした。
「これまでは学校に行っていなかったのでけんかをしたことはありませんでした。僕は今初めてけんかができたのです。けんかができるお友達が初めてできたことがうれしいのです」。彼はうれしくて涙を流していたのです。私はとっさに「じゃあ初めて仲直りも経験できるかもね」と声をかけました。
彼の何とも言えないはにかんだ笑顔を忘れることができません。
友人とのけんかひとつとっても、大人の発想をはるかに超える子どもたちの感性がそこに確かに存在しているのです。そこに大人が良かれと思って介入して、果たしてこの子たちの純粋さに勝るようなアドバイスがあるのでしょうか? 私の拙い経験値よりはるかに導い「今」を、彼らは刻んでいるように思うのです。
このような経験を重ねるうちに、私は「大人は子どもの邪魔をしてはならない」と考えるようになりました。解決や解消を意図して介入するより、私たちが果たすべき重要な役割は「伴走」なのかもしれません。手を差し伸べて引っ張り上げることが不必要だとは思いませんが、それよりも子どもたちが立ち上がりたいと思ったときにつかめる手がそばにあるかどうかの方が肝要な気がします。
けんかをしたことがうれし涙に変わるような感覚を、私は30歳以上も年下の彼から初めて学びました。そう思うと、日々の何げない出来事のすべては、私たち大人の方が子どもたちから貴重な何かを学んでいると感じ取れるようになりました。
悩みも葛藤もつきることはありません。それでも年齢や経験をあっという間に埋めてくれるこの空間が大好きです。
~とても爽やかな5月の風を感じながら~
以上