「私、恋愛で自分も彼も安心する関係でいたいんです」
カウンセリングの最初に、そう言ってきたクライアントがいた。
言葉だけ聞けば、とても誠実に聞こえる。やさしい人にも見える。相手のことを考えている人にも見える。
でも、私はこういう“きれいな言葉”を聞いたときほど、その奥を丁寧に見たくなる。
なぜなら、人は本音をそのまま言うよりも、本音を少し整えて、正しそうな言葉にして出すことがあるからだ。
私はそのとき、少し重さを感じていた。
まだ話し始めたばかりなのに、すでに「安心」という完成形を相手に求めている。しかもそれを「自分も彼も」という形で語っている。
一見対等に見えるけれど、よく聞くとそこには見えにくいズレがあることがある。
そこで私は聞いてみた。
「あなたが安心する状態って、彼にとっても本当に心地いいんですか?」
その瞬間、相手は少し固まった。そして、こんなふうに言った。
「私は彼のためにこんなに悩んでいるんです」
この言葉を聞いたとき、私は共感しなかった。動揺もしなかった。むしろ、やっぱりそこか、と思った。
“彼のため”という言葉には、実は2種類あると私は思っている。
ひとつは、自分がある程度満たされた上で相手を思うもの。
もうひとつは、満たされていない自分を埋めるために相手を使うもの。
表面上はどちらも「相手のため」に見える。でも、内側の動機はまったく違う。
このときの彼女は、おそらく後者ではなかった。先に自分が満たされていて、その上で彼を思っている感じではなかった。
むしろ、満たされていない自分を、彼という存在を通して補いたい。彼との関係によって、自分の不安を軽くしたい。彼を通して、自分が安心できる形を作りたい。
そういうものが透けて見えた。
もちろん本人に悪気はない。本人は本気で悩んでいる。本気でうまくいきたいと思っている。本気で彼のことを考えているつもりでもいる。
でも、“つもり”と“実際”は違うことがある。
彼のためと言いながら、見ているのは現実の彼ではなく、自分の中にある理想の彼だったりする。
自分を不安にさせない彼。自分を安心させてくれる彼。自分を裏切らない彼。自分の気持ちに応えてくれる彼。
そういう“理想の彼”に向けて尽くしているとき、それは現実の彼のためとは少し違ってくる。
そして相手はそれを言語化できなくても、無意識では感じ取ることがある。
だから距離を置く。だから逃げたくなる。だから近づくほど、離れるということが起きる。
本人は「こんなに思っているのに」と苦しくなる。でも相手からすると、 “思われている”というより “求められている” “詰められている” “見えない圧を受けている” に近いこともある。
恋愛の中で「安心したい」という気持ち自体は悪いものではない。
けれど、その安心を自分の中で育てるのではなく、相手を自分に都合よく配置することで手に入れようとすると、関係は少しずつ苦しくなっていく。
相手がこうしてくれれば安心。相手がこの距離感でいてくれれば安心。相手がこう返してくれれば安心。相手が離れなければ安心。
そうやって、自分の安心の条件を相手に背負わせると、恋愛は対等な関係ではなくなっていく。
そこには、無意識の上下や主従が入りやすい。
本人は愛だと思っている。でも実際には、不安や不足感や見捨てられ不安を、 “正しい言葉”で包み直しているだけのこともある。
人は、自分の不安や不満や不信感を、それっぽい言葉にすり替えるのがうまい。
そして今の時代は、そういう自分を深く見なくても、外に答えらしきものがたくさんある。
SNSを見れば、恋愛心理がある。無料情報を見れば、関係改善の方法がある。自己分析をすれば、何となく分かった気になれる。
でもそこで手に入るものの多くは、 “本当の意味で自分が見えてくること”とは少し違う。
知識は増える。言葉も増える。でも、自分の内側のズレは残ったまま、ということがある。
見ようとしていることと、本当に見えていることは違う。
分かっているつもりと、体で理解していることも違う。
だからこそ、この種のことは言葉で一度聞いただけでは変わりにくい。
本人の内側から「あ、そういうことか」と気づきが生まれたときに、ようやく動き始める。
私はそのために、すぐに正しいことを全部言わないことがある。
伝わらない段階の人に正論を渡しても、たいていは防御されるからだ。
それよりも、今その人がどこを見ていて、何を見たくなくて、何を“彼のため”という言葉にすり替えているのか。
そこを一緒に整理していく方が大事だと思っている。
彼を安心させたいなら、まず自分の不安がどこから来ているのかを知ること。
彼のために動きたいなら、まず現実の彼を見ているのか、それとも理想の彼を見ているのかに気づくこと。
恋愛で本当に必要なのは、相手を変える技術より先に、自分の中にある混線を見つけることなのかもしれない。
きれいな言葉の奥には、案外むき出しの本音が隠れている。
そして、その本音に気づけるようになったとき、ようやく関係の見え方は変わり始めるのだと思う。
カウンセリングの最初に、そう言ってきたクライアントがいた。
言葉だけ聞けば、とても誠実に聞こえる。やさしい人にも見える。相手のことを考えている人にも見える。
でも、私はこういう“きれいな言葉”を聞いたときほど、その奥を丁寧に見たくなる。
なぜなら、人は本音をそのまま言うよりも、本音を少し整えて、正しそうな言葉にして出すことがあるからだ。
私はそのとき、少し重さを感じていた。
まだ話し始めたばかりなのに、すでに「安心」という完成形を相手に求めている。しかもそれを「自分も彼も」という形で語っている。
一見対等に見えるけれど、よく聞くとそこには見えにくいズレがあることがある。
そこで私は聞いてみた。
「あなたが安心する状態って、彼にとっても本当に心地いいんですか?」
その瞬間、相手は少し固まった。そして、こんなふうに言った。
「私は彼のためにこんなに悩んでいるんです」
この言葉を聞いたとき、私は共感しなかった。動揺もしなかった。むしろ、やっぱりそこか、と思った。
“彼のため”という言葉には、実は2種類あると私は思っている。
ひとつは、自分がある程度満たされた上で相手を思うもの。
もうひとつは、満たされていない自分を埋めるために相手を使うもの。
表面上はどちらも「相手のため」に見える。でも、内側の動機はまったく違う。
このときの彼女は、おそらく後者ではなかった。先に自分が満たされていて、その上で彼を思っている感じではなかった。
むしろ、満たされていない自分を、彼という存在を通して補いたい。彼との関係によって、自分の不安を軽くしたい。彼を通して、自分が安心できる形を作りたい。
そういうものが透けて見えた。
もちろん本人に悪気はない。本人は本気で悩んでいる。本気でうまくいきたいと思っている。本気で彼のことを考えているつもりでもいる。
でも、“つもり”と“実際”は違うことがある。
彼のためと言いながら、見ているのは現実の彼ではなく、自分の中にある理想の彼だったりする。
自分を不安にさせない彼。自分を安心させてくれる彼。自分を裏切らない彼。自分の気持ちに応えてくれる彼。
そういう“理想の彼”に向けて尽くしているとき、それは現実の彼のためとは少し違ってくる。
そして相手はそれを言語化できなくても、無意識では感じ取ることがある。
だから距離を置く。だから逃げたくなる。だから近づくほど、離れるということが起きる。
本人は「こんなに思っているのに」と苦しくなる。でも相手からすると、 “思われている”というより “求められている” “詰められている” “見えない圧を受けている” に近いこともある。
恋愛の中で「安心したい」という気持ち自体は悪いものではない。
けれど、その安心を自分の中で育てるのではなく、相手を自分に都合よく配置することで手に入れようとすると、関係は少しずつ苦しくなっていく。
相手がこうしてくれれば安心。相手がこの距離感でいてくれれば安心。相手がこう返してくれれば安心。相手が離れなければ安心。
そうやって、自分の安心の条件を相手に背負わせると、恋愛は対等な関係ではなくなっていく。
そこには、無意識の上下や主従が入りやすい。
本人は愛だと思っている。でも実際には、不安や不足感や見捨てられ不安を、 “正しい言葉”で包み直しているだけのこともある。
人は、自分の不安や不満や不信感を、それっぽい言葉にすり替えるのがうまい。
そして今の時代は、そういう自分を深く見なくても、外に答えらしきものがたくさんある。
SNSを見れば、恋愛心理がある。無料情報を見れば、関係改善の方法がある。自己分析をすれば、何となく分かった気になれる。
でもそこで手に入るものの多くは、 “本当の意味で自分が見えてくること”とは少し違う。
知識は増える。言葉も増える。でも、自分の内側のズレは残ったまま、ということがある。
見ようとしていることと、本当に見えていることは違う。
分かっているつもりと、体で理解していることも違う。
だからこそ、この種のことは言葉で一度聞いただけでは変わりにくい。
本人の内側から「あ、そういうことか」と気づきが生まれたときに、ようやく動き始める。
私はそのために、すぐに正しいことを全部言わないことがある。
伝わらない段階の人に正論を渡しても、たいていは防御されるからだ。
それよりも、今その人がどこを見ていて、何を見たくなくて、何を“彼のため”という言葉にすり替えているのか。
そこを一緒に整理していく方が大事だと思っている。
彼を安心させたいなら、まず自分の不安がどこから来ているのかを知ること。
彼のために動きたいなら、まず現実の彼を見ているのか、それとも理想の彼を見ているのかに気づくこと。
恋愛で本当に必要なのは、相手を変える技術より先に、自分の中にある混線を見つけることなのかもしれない。
きれいな言葉の奥には、案外むき出しの本音が隠れている。
そして、その本音に気づけるようになったとき、ようやく関係の見え方は変わり始めるのだと思う。
