from unknown friend
会ったことのないけれど、お互い親しみを感じている恋人の友人からメールをもらった。この台湾人のまだ見ぬ友人は、会ったこのない自分の友人の恋人の私をいろいろ想像して、メールを書いてくれたみたいなんだけど、それは実際の私とはあまりにもかけ離れていて爆笑してしまった。
だって、you must be adorableだなんて!!いつか会うときに失望させないようにしなくては。
・・・・・・・・・・・
実に美味しいコニャックを飲んだ。
どこの国のなんと言うコニャックかは秘密にしておきます。2回醸造、ということでブドウの香りが僅かに薫っておりました。珍しいことに、コルクがしてあったのだけど、それには何か理由があったのかな。それにしても、目の前に、ウイスキー、コニャックが何瓶も置いてあり、好きなだけ飲んでも良いということなら、どんなに愛想のない人でも顔が綻ぶに違いないでしょう。お酒好きの同僚と幸せだねーと飲みました。その後、2軒はしごしましたが、つくづく思いますが、金曜の夜にしかできないことってあるものです。
林間に 酒を温め 語り尽くせ 風雅に世俗 秋の夜
・・・・・・・・・・・・
だって、you must be adorableだなんて!!いつか会うときに失望させないようにしなくては。
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実に美味しいコニャックを飲んだ。
どこの国のなんと言うコニャックかは秘密にしておきます。2回醸造、ということでブドウの香りが僅かに薫っておりました。珍しいことに、コルクがしてあったのだけど、それには何か理由があったのかな。それにしても、目の前に、ウイスキー、コニャックが何瓶も置いてあり、好きなだけ飲んでも良いということなら、どんなに愛想のない人でも顔が綻ぶに違いないでしょう。お酒好きの同僚と幸せだねーと飲みました。その後、2軒はしごしましたが、つくづく思いますが、金曜の夜にしかできないことってあるものです。
林間に 酒を温め 語り尽くせ 風雅に世俗 秋の夜
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旅行病
国内外を問わず、お金も時間も余裕がなくても、旅行をしたいと強く思うことは、裏を返すと、日常のなかの自分自身としっかり向き合っていないということだろうか。
旅行で異文化に出会い、刺激を得ること自体に満足を感じているケースも私の場合は多々あるので、すこし問題かもしれない。旅行で感じたことがその後の日々を豊かにするようであって欲しいと思う。
アメリカ、NZ、オーストラリア、オーストリア、チェコ、トルコ、フランス、香港、イタリア、フランス、ロシア、スペイン、ポルトガル、たった5年くらいでよくもまぁこれだけ回ったと思う。学会や留学なども含めると、アメリカなんか、何往復しているか。旅行病が進行していた年は2ヶ月に一度、海外に行っていたこともあったりして、わしは一体なにしてんねんって。。。。。そうは言っても私にとって、生活していく中で、違う風土や異文化に触れる機会は非常に重要で、もし5年間、日本から出てはいけません、と言われたら、ちょっと発狂してしまうかもしれない!誰だって好奇心を止めることは難しいが、自分自身に好奇心を抱いている人には旅行はそんなに必要ではないのかもしれない。(セネカを読んでそう感じました)
旅行を続けて思うのは、スリや置き引き、その他あらゆる危険に警戒しつつ、それに気を取られすぎて、結局観るべき素晴らしいもの、美しいもの、美味しいものを味わわずに旅行を終えてしまうのは勿体無い。これでは、何のために旅行にでたのか分からない。かといって目の前の風景、料理にばかり夢中で堪能していて身の危険を察知できないのもあまりにも愚かである。旅行をしていくと、常に自分に起こりうるリスクに備えつつ、それでいて数々のみるべきものをしっかり堪能すること、この技術が高められるように感じる。言ってみれば、「気をつけながら楽しむ」ということか。
それは何も旅行の心構えのみならず、人生においても有用な心構えであると思う。自分の備えるべきリスクを見極め、これに対処していくと同時に、自分の仕事をして、余暇を十分楽しむ。何かに偏りすぎている人生は私には合わないと思う。仕事人か、家庭人か、趣味人か、勤勉な実務家か、どちらか片一方なんて、ある一つの言葉で表現できてしまう人間がいないことからも分かるように、人間の多面性を無視した考え方だと思う。私は(バンカーとしての)仕事も、研究も、サーフィンも、家族も、空手も、芸術も、旅行も、諦めない。この多面性をわたしという人格の中に取り込み、たとえ時間が長くかかろうとも(そんなことは百も承知だが)それぞれの面において、ベストなものを目指したいと思う。各面においても輝くプリズムのような人生。
単純な二者択一問題は、試験場ではともかく、人生には適さないと思う。
旅行で異文化に出会い、刺激を得ること自体に満足を感じているケースも私の場合は多々あるので、すこし問題かもしれない。旅行で感じたことがその後の日々を豊かにするようであって欲しいと思う。
アメリカ、NZ、オーストラリア、オーストリア、チェコ、トルコ、フランス、香港、イタリア、フランス、ロシア、スペイン、ポルトガル、たった5年くらいでよくもまぁこれだけ回ったと思う。学会や留学なども含めると、アメリカなんか、何往復しているか。旅行病が進行していた年は2ヶ月に一度、海外に行っていたこともあったりして、わしは一体なにしてんねんって。。。。。そうは言っても私にとって、生活していく中で、違う風土や異文化に触れる機会は非常に重要で、もし5年間、日本から出てはいけません、と言われたら、ちょっと発狂してしまうかもしれない!誰だって好奇心を止めることは難しいが、自分自身に好奇心を抱いている人には旅行はそんなに必要ではないのかもしれない。(セネカを読んでそう感じました)
旅行を続けて思うのは、スリや置き引き、その他あらゆる危険に警戒しつつ、それに気を取られすぎて、結局観るべき素晴らしいもの、美しいもの、美味しいものを味わわずに旅行を終えてしまうのは勿体無い。これでは、何のために旅行にでたのか分からない。かといって目の前の風景、料理にばかり夢中で堪能していて身の危険を察知できないのもあまりにも愚かである。旅行をしていくと、常に自分に起こりうるリスクに備えつつ、それでいて数々のみるべきものをしっかり堪能すること、この技術が高められるように感じる。言ってみれば、「気をつけながら楽しむ」ということか。
それは何も旅行の心構えのみならず、人生においても有用な心構えであると思う。自分の備えるべきリスクを見極め、これに対処していくと同時に、自分の仕事をして、余暇を十分楽しむ。何かに偏りすぎている人生は私には合わないと思う。仕事人か、家庭人か、趣味人か、勤勉な実務家か、どちらか片一方なんて、ある一つの言葉で表現できてしまう人間がいないことからも分かるように、人間の多面性を無視した考え方だと思う。私は(バンカーとしての)仕事も、研究も、サーフィンも、家族も、空手も、芸術も、旅行も、諦めない。この多面性をわたしという人格の中に取り込み、たとえ時間が長くかかろうとも(そんなことは百も承知だが)それぞれの面において、ベストなものを目指したいと思う。各面においても輝くプリズムのような人生。
単純な二者択一問題は、試験場ではともかく、人生には適さないと思う。
conference form professional
元コンサルタントで現在広告代理業に携わっている友人から
業務上の相談を受ける。
友人がある金融機関のある商品の広告を
受注しようかどうか迷っているという。
というのも、その商品の性格上、
法律的にファジーな部分があって、
もし受注後、監督官庁からクレームが来た場合、
その対応に膨大なコストがかかるため、
友人の所属する企業が躊躇しているらしい。
リーガル・コンプライアンスが注目されてきている昨今ですから、
友人や友人のボスたちの気持ちは分かります。
基本的にオプションの1つなのだけど、
細かいスペック如何でクレームがでてくるかもしれないし、
それをターゲット層に誤解のない形で
アピールする広告を作るのは、
なかなか骨が折れるだろうさね。
私のアドバイスはこの商品の
基本的な特徴を説明した上で、
just asking the FSA!
以上。
業務上の相談を受ける。
友人がある金融機関のある商品の広告を
受注しようかどうか迷っているという。
というのも、その商品の性格上、
法律的にファジーな部分があって、
もし受注後、監督官庁からクレームが来た場合、
その対応に膨大なコストがかかるため、
友人の所属する企業が躊躇しているらしい。
リーガル・コンプライアンスが注目されてきている昨今ですから、
友人や友人のボスたちの気持ちは分かります。
基本的にオプションの1つなのだけど、
細かいスペック如何でクレームがでてくるかもしれないし、
それをターゲット層に誤解のない形で
アピールする広告を作るのは、
なかなか骨が折れるだろうさね。
私のアドバイスはこの商品の
基本的な特徴を説明した上で、
just asking the FSA!
以上。
100年前の日本を旅する
ラフカディオハーンの記述した『日本の風土』を読む。彼が約100年前に日本に滞在した時のことをまとめたエッセイである。哲学的な問題や論理的な記述があるわけでもなく、日本の情景がひたすら感覚的に記述されている。日本の風景、色、形などの視覚の美、下駄の音、寺の鐘などの聴覚の美、というように感覚から感じられる日本の美から、彼は日本を理解していく。ラフカディオハーンの日本理解は、夏目や柳宗悦といったその後の日本人の異文化理解のひとつのモデルとなったという。特に柳は、朝鮮半島における3.1独立運動をきっかけとして、朝鮮半島の人々のナショナリズムの高まりを受け、彼らを内面から理解し、民族固有の(美的)独自性を強調するに到った。有名な民芸運動の契機である。以前、読んだ柳の著作による「井戸」と「楽」の本質的な差異についての柳の意見に代表されると思う。つまり、真の技術は無意識的なものではないか?手が勝手に動いてつくられていくものではないか?というのが柳の基本態度であるが、これはラフカディオハーンの『日本の風土』の「伝承の直感的技法」における「最初は意識的な苦心だったものが、後世におよぶにしたがって、それが無意識的なものとなり-げんに今日生存している工匠たちにとっては、むしろ、意を用いなくても、ひとりでに手の方が動くといった、自動的なものとなり、言いかえれば、直感的な技法にまでなっているのだ」という箇所からも、柳がラフカディオハーンから受けた民芸に関する影響が理解できる。
また、ラフカディオハーンの日本の宗教に対する理解の方法は、、古神道や仏教に関する宗教的教義に対する理解というよりは、建築物や参拝の人々の熱心な様子、その動作といった美的側面から理解されたことが印象的だった。『日本の風土』「現実の詩美」から「-夢と疑念とが一時まじりあったような、不思議な感じである。いま、私の目の前にある、この寺の医師団も、竜の群れているこの山門も、街の上にひろがっている青い空も、まぼろしのような富士の霊峰も、それから灰色の石畳の上にのびている私の影も、やがてはみな消滅するものだと、ふとそんな気がしたのである。」この世とあの世の区別が曖昧になり、この世を夢と思うような、そんな感覚を彼は理解したのも、感覚的に日本の美を理解したからであると思う。なぜなら、美に対する感覚は一瞬のもので、その感覚は移ろいやすいものだから。
・・・・・・・・・・
本格的に日本語を磨いていく場合は、国語辞書や漢和辞典をしっかり引いていく作業が大切になる。
また、ラフカディオハーンの日本の宗教に対する理解の方法は、、古神道や仏教に関する宗教的教義に対する理解というよりは、建築物や参拝の人々の熱心な様子、その動作といった美的側面から理解されたことが印象的だった。『日本の風土』「現実の詩美」から「-夢と疑念とが一時まじりあったような、不思議な感じである。いま、私の目の前にある、この寺の医師団も、竜の群れているこの山門も、街の上にひろがっている青い空も、まぼろしのような富士の霊峰も、それから灰色の石畳の上にのびている私の影も、やがてはみな消滅するものだと、ふとそんな気がしたのである。」この世とあの世の区別が曖昧になり、この世を夢と思うような、そんな感覚を彼は理解したのも、感覚的に日本の美を理解したからであると思う。なぜなら、美に対する感覚は一瞬のもので、その感覚は移ろいやすいものだから。
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本格的に日本語を磨いていく場合は、国語辞書や漢和辞典をしっかり引いていく作業が大切になる。
枕中記
こんな夢をみました。 自分はなぜかジュラ紀の鳥に生まれ変わっていた。鶴のような足の細長い鳥になって、亜熱帯のようななんだかよく分からないけど、やたら色彩の鮮やかな樹木、草木のジャングルを飛んでいた。 ジャングルの中には大きな湖があって、自分は湖面すれすれを飛んで中がどんな様子か窺うと、透き通った緑色の湖面の下には同じように樹木が生えており、それが水の中で光を反射して黄金色にきらきらと輝いていました。自分は鳥ながら、なんて綺麗なのだろうと、しばらく湖面に顔を近づけんばかりにして覗き込んでいました。 もっとよくみると湖の中にはなぜかワニの群れが潜んでおり、しかしよくみるとそれはティラノザウルスのような恐竜でした。 また、トラを大きくしたような猛獣も草陰に隠れており、そうかと思うと鳥も飛んでいました。 しばらく飛んでいるとさすがに疲れてきたので、止まり木を探すと、湖の中から何本か巨木が突き出してあったので、やれやれとなるべく高い位置に止まりました。ふと横を見ると、隣の巨木には先程のティラノザウルスのような恐竜が止まっていました。自分は食べられてしまう、と恐怖にかられ、恐竜がこちらにつたって来ないうちに飛び立ちました。なるべく空高く飛び立つと神話の彫刻が施されている岩の崖の頂上に着くとそこには大きな肉食のワシのような鳥がとまっていました。これは食べられてしまうと大急ぎで飛び立ち、その時に夢が醒めました。 全体的にコンピューター・グラフィックのような鮮明な映像の夢でした。
ナポリ人
友人の先生で、日本人というよりは
イタリア人のメンタリティに近いという方がいらっしゃいます。
イタリア人もいろいろなタイプがいるようですが、
その先生は南イタリアのナポリ人のような方だそうです。
イタリアを周遊したことがある人ならば、
感じたことかもしれませんが、
彼らはイタリア政府への帰属意識よりも
自分の住んでいる地域や州にその意識を持つようです。
そして、歴史的背景を考えると理解できるかと思いますが、
政府からの独立心も強い。
それはともかく、その先生の知人が
芸術家として国費留学生に選ばれ、
フランスかどこか外国に留学することになったと
先生のところへ電話をしてきたそうです。
話を聞いていくうちに、この芸術家は
自分が国費留学生に選ばれたことを
すごーく鼻にかけ、なにかと自慢げに話すので、
先生は電話口でこの芸術家を“とっちめて”やったそうです。
「国とか、組織とか、権威に頼る自立していない人は嫌いだね」
日本人のメンタリティとは正反対ですね。
イタリア人のメンタリティに近いという方がいらっしゃいます。
イタリア人もいろいろなタイプがいるようですが、
その先生は南イタリアのナポリ人のような方だそうです。
イタリアを周遊したことがある人ならば、
感じたことかもしれませんが、
彼らはイタリア政府への帰属意識よりも
自分の住んでいる地域や州にその意識を持つようです。
そして、歴史的背景を考えると理解できるかと思いますが、
政府からの独立心も強い。
それはともかく、その先生の知人が
芸術家として国費留学生に選ばれ、
フランスかどこか外国に留学することになったと
先生のところへ電話をしてきたそうです。
話を聞いていくうちに、この芸術家は
自分が国費留学生に選ばれたことを
すごーく鼻にかけ、なにかと自慢げに話すので、
先生は電話口でこの芸術家を“とっちめて”やったそうです。
「国とか、組織とか、権威に頼る自立していない人は嫌いだね」
日本人のメンタリティとは正反対ですね。
また一雨くるそうで
先日、後輩がしでかしたあるプロジェクトの
予算設定ミスについて、お詫びメールが届いた。
後輩は、予算の設定を直前に再確認せず、
そのまま料金支払になって数万円の不足が
生じていたことが分かったが、
本人は別の用事のため代理人に
その処理を任せていたようだ。
数万円の不足分は年上の方が肩代わりをしてくれたようだ。
こういう時、どんな対応をすればよいのか、
本気で悩む。人生の長老に聞きたいくらいだ。
事前に予定していた金額、実際にかかった金額、
損失の金額と発生理由、誰がどれだけ負担したか、
それらの情報を正確に把握した上で、
迷惑をかけた人へのフォローを行う。
これを短時間で完遂してもらうように
指示をだすのが先決だろうか。
この後輩はその下の後輩からどういう評価を受けたのかを
考えると不憫な気がする。
万事、目下のしたの目を気にするべきであると思っている。
目上の下には人間別段意識しなくとも丁寧にしっかりと対応するが、
目下の人にはついついぞんざいな態度をとってしまうことがある。
しかし、評価の目という点では、
目上より目下の方が厳しいものがあると思う。
目上の人は少々の無礼も「まぁまだ若いし、
経験も浅いから仕方がない」となるが、
目下の人は少々の無礼でも「あの人は目上にも関わらず、
なっていないぞ!尊敬できない!」となることは、
自分の経験からも言えることだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
インドのバンガルーはITが有名なのは
多くの人が知っていると思う。
だけど、あそこには優秀な学生が学ぶLaw Shchoolもある。
多分、インドの国策としてだと思うけど、
最近、国際渉外も行える弁護士育成に力を入れているよう。
周辺国との紛争を抱える国としては当然とも言える
政策なのだけど。
今年、バンガルーのlaw studentとある法律的なトピックについて
コンペ形式の議論をしたことがあるが、
彼らは非常に論理的思考力があると感じた。
複雑な問題から事実をひとつひとつ取り出して、
もっとも該当する法規を当てはめ、
法律的な解釈と判断を下す。
といってもかれらのスピーチはシンプル。
しっかり対応関係が検討されていて、
思考のブレを感じさせない鮮やかなスピーチだった。
予算設定ミスについて、お詫びメールが届いた。
後輩は、予算の設定を直前に再確認せず、
そのまま料金支払になって数万円の不足が
生じていたことが分かったが、
本人は別の用事のため代理人に
その処理を任せていたようだ。
数万円の不足分は年上の方が肩代わりをしてくれたようだ。
こういう時、どんな対応をすればよいのか、
本気で悩む。人生の長老に聞きたいくらいだ。
事前に予定していた金額、実際にかかった金額、
損失の金額と発生理由、誰がどれだけ負担したか、
それらの情報を正確に把握した上で、
迷惑をかけた人へのフォローを行う。
これを短時間で完遂してもらうように
指示をだすのが先決だろうか。
この後輩はその下の後輩からどういう評価を受けたのかを
考えると不憫な気がする。
万事、目下のしたの目を気にするべきであると思っている。
目上の下には人間別段意識しなくとも丁寧にしっかりと対応するが、
目下の人にはついついぞんざいな態度をとってしまうことがある。
しかし、評価の目という点では、
目上より目下の方が厳しいものがあると思う。
目上の人は少々の無礼も「まぁまだ若いし、
経験も浅いから仕方がない」となるが、
目下の人は少々の無礼でも「あの人は目上にも関わらず、
なっていないぞ!尊敬できない!」となることは、
自分の経験からも言えることだ。
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インドのバンガルーはITが有名なのは
多くの人が知っていると思う。
だけど、あそこには優秀な学生が学ぶLaw Shchoolもある。
多分、インドの国策としてだと思うけど、
最近、国際渉外も行える弁護士育成に力を入れているよう。
周辺国との紛争を抱える国としては当然とも言える
政策なのだけど。
今年、バンガルーのlaw studentとある法律的なトピックについて
コンペ形式の議論をしたことがあるが、
彼らは非常に論理的思考力があると感じた。
複雑な問題から事実をひとつひとつ取り出して、
もっとも該当する法規を当てはめ、
法律的な解釈と判断を下す。
といってもかれらのスピーチはシンプル。
しっかり対応関係が検討されていて、
思考のブレを感じさせない鮮やかなスピーチだった。
karate
最近、恋人が柔道をしている。
高校のときにやっていたのを復活したようで、
そのせいか、私も何か運動をしたほうが良いと言われた。
というわけで、私も高校のときにやっていた
空手を再開することにした。
ちょっとした武道派カップル??
高校のときにやっていたのを復活したようで、
そのせいか、私も何か運動をしたほうが良いと言われた。
というわけで、私も高校のときにやっていた
空手を再開することにした。
ちょっとした武道派カップル??
up or out ?
ある省庁に勤務する事務官の友人と、
出世について話をした。
友人がたった1つの事務次官の席を巡る
昇進レースに参加することに、
日々どう考えているのか気になって聞いてみた。
それについて友人がどのように考えているのかを
この場で詳しく披露することは差し控えるけれども
2点ほど。
友人が、10年目以降いつでも退官して
キャリアチェンジすることを
受け入れている点、
省内にいる間は自分のキャリアチェンジで
実現したい役割を遂行できるようなスキルや
情報をできる限り身につけたいと
考えている点が印象に残った。
場合によっては将来こういう人がマーケットに流れ込み、
私と競争することもあるのだろうか。
出世について話をした。
友人がたった1つの事務次官の席を巡る
昇進レースに参加することに、
日々どう考えているのか気になって聞いてみた。
それについて友人がどのように考えているのかを
この場で詳しく披露することは差し控えるけれども
2点ほど。
友人が、10年目以降いつでも退官して
キャリアチェンジすることを
受け入れている点、
省内にいる間は自分のキャリアチェンジで
実現したい役割を遂行できるようなスキルや
情報をできる限り身につけたいと
考えている点が印象に残った。
場合によっては将来こういう人がマーケットに流れ込み、
私と競争することもあるのだろうか。
social club
インターン@霞ヶ関。
ある機関が所有するデータベースのメンテを手伝いました。
データベースはそれぞれのカテゴリーやグループごとに
管理されているのだけど、いやはや世の中には
さまざまな倶楽部があることを知りました。
・・・・・・・・・・・・
@渋谷
親しい友人たちと朝まで飲みました。
好きな人たちと好きなことをできる幸せを実感。
年下の友人たちは客観的にみて非常に優秀なのに、
(学力的にも、対人能力的にも)
いつも謙遜の気持ちをもっていて、
こちらが恐縮してしまう。
もう働き始めているある友人は、
「優秀な人は黙っていても事を成すもの」と言っていた。
だから「ことさら自分の権利を主張したり、
がつがつしていたりする人は、自分の能力を過大評価して
自分の手に余る無理な事を
やっているようで見苦しい」と言う。
確かにそうかもしれない。
自分が頑張っているのだからいいじゃないか!
という考えかたももちろんあるけれど。
ただその人の行動、その人の声、顔つき、
たたずまい、それらと周囲が無関係に存在し得ない以上、
私は自分の見苦しさを許容し得ない。
ある機関が所有するデータベースのメンテを手伝いました。
データベースはそれぞれのカテゴリーやグループごとに
管理されているのだけど、いやはや世の中には
さまざまな倶楽部があることを知りました。
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@渋谷
親しい友人たちと朝まで飲みました。
好きな人たちと好きなことをできる幸せを実感。
年下の友人たちは客観的にみて非常に優秀なのに、
(学力的にも、対人能力的にも)
いつも謙遜の気持ちをもっていて、
こちらが恐縮してしまう。
もう働き始めているある友人は、
「優秀な人は黙っていても事を成すもの」と言っていた。
だから「ことさら自分の権利を主張したり、
がつがつしていたりする人は、自分の能力を過大評価して
自分の手に余る無理な事を
やっているようで見苦しい」と言う。
確かにそうかもしれない。
自分が頑張っているのだからいいじゃないか!
という考えかたももちろんあるけれど。
ただその人の行動、その人の声、顔つき、
たたずまい、それらと周囲が無関係に存在し得ない以上、
私は自分の見苦しさを許容し得ない。