love with italian wine!
告白します。もう完全に心を奪われてしまった!君無しの人生なんて考えられない、と叫びそうになるほど、私はイタリアワインに夢中です。
昨晩、友人たちとイタリアワインのフルコースをしかるべき数種類のワインと料理で堪能するディナーを敢行しました。主催はポーランド・カナダ系アメリカ人の友人だったのだけど、まさに目から鱗がでるディナーでした。どんな順序で何を飲んだのかを書きたいところだけど、そのワインが私の手に入りにくくなる恐れもあるので、秘密にしておきます。(普段は独占欲はそれほど強くないのだけど・・)
それぞれのイタリアワインの持つ、若さ(友人はあるキャンティを指してhe is a play boyとコメントしていた)と成熟(別の人はあるバローロを指してhe is a resonable guyとコメント)を十分にティスティングし、それをお互いに言葉で表現して遊んだ。また、前菜で鯵の酢漬けがでてきたのだけど、酸っぱすぎないでワインと良く合っていた。アマローネを堪能してそろそろお開きにしようかというときに、お店の人のサービスでデザートワインが振舞われた。昨晩の余韻はまだ私の中に残っている。
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昨晩、友人たちとイタリアワインのフルコースをしかるべき数種類のワインと料理で堪能するディナーを敢行しました。主催はポーランド・カナダ系アメリカ人の友人だったのだけど、まさに目から鱗がでるディナーでした。どんな順序で何を飲んだのかを書きたいところだけど、そのワインが私の手に入りにくくなる恐れもあるので、秘密にしておきます。(普段は独占欲はそれほど強くないのだけど・・)
それぞれのイタリアワインの持つ、若さ(友人はあるキャンティを指してhe is a play boyとコメントしていた)と成熟(別の人はあるバローロを指してhe is a resonable guyとコメント)を十分にティスティングし、それをお互いに言葉で表現して遊んだ。また、前菜で鯵の酢漬けがでてきたのだけど、酸っぱすぎないでワインと良く合っていた。アマローネを堪能してそろそろお開きにしようかというときに、お店の人のサービスでデザートワインが振舞われた。昨晩の余韻はまだ私の中に残っている。
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life is finite
中国の社会保障の現状について、友人の研究報告を聞いた。
友人は上海の人なので、今年9月に発刊された中国の社会保障に関する白書を中心に報告をしてくれた。やはり研究は第一資料に、そしてその言語であたるのが基本なのだな、と思わせられるくらい、内容のある報告だった。
日本の社会保障制度は、年金、医療、介護どれをとってみても課題が多く、毎年のように見直しが行なわれている。(今年は年金、来年は介護)つまり日本の場合、社会保障制度は、再構築が求められているのであるが、中国の場合は構築が求められているようだ。今日の報告によると、年金制度があっても加入者は主に都市部に住む(都市戸籍を持つ)1億3千人程度であるし、大多数の農村部の人々は年金制度は利用できず、もっぱら家族や地域社会にその老後の財政的、身体的ケアを求めざるを得ない。医療保険も農村部では発達しておらず、「もし農村で病人がでたらどうするの?」と質問したところ、「治療費が高いため、家族は苦しい生活を余儀なくされる。病気にかからないように気をつける。」とのことである。しかし一方、都市部の場合は、医療保険(賦課方式)があり、(強制)加入者は、病気にかかった場合ある一定額まで治療費をそこでまかなうことができる。またそれ以上の治療費がかかった場合は、政府の所轄する医療基金から差額が支払われるという。
農村と都会の社会サービス落差は想像以上に大きいようだ。余談であるが、民間の生命保険に対する都市部の人々の需要はまだそれほど高いものではないそうだ。日本の保険会社も現地で合弁会社等を通じて、生命保険の売込みをしているそうだが、消費者の価値観の壁はどうもあるという。現在の中国の社会保障制度は、限られた一部の人しか利用できないため、より多くの国民が利用できる制度にdevelopしていく必要があるように思う。
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学校や駅の本屋をのぞくと新しい本が所狭しと並べられている。しばらくどんなものやらと眺めているが、買って読みたい本は全然ない。ほとんどの場合、私の読みたい本は本屋には置いていない。最近読んでいる本で最も新しいものはR.V.ケーベルの随筆集であり、約百年前の文章である。それでも最近読んでいるものの中では、頗る新しい時代に著されたもののほうに属する。もちろん、必要に応じて私とて“企業戦略”モノや“コーポレイトファイナンス”モノを手にすることはあるけれども、心から読みたくて読んでいるという意識や、読了後深い満足感と爽快感を覚えることはほとんどない。読む目的が全く違うから、当たり前といえば当たり前の話かもしれない。今の自分の読書生活に満足しているけれど、就職したらそうも言っていられないのでしょうな。わずかな報酬と引き換えに、貴重な読書の三昧境を手放すのはいかにも口惜しい。最近の読書習慣から、自分が形而上の問題により興味を抱くようになってきている。自分の来年からの職業は、ばっちり形而下の範囲に含まれるものなので、その辺りうまく折り合いを付けられれば良いのであるが、おそらく自分が認識することになるのは、その隔たりだろうか。
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「自分の国の歴史から逃げない。それは他国に身を置く人間にとっては絶対に不可避なことである」ということをアメリカ人の知人から教えられた。「決してそれは過去の人がやったこと、自分には関係ないということは言えない。自国の歴史を知り、その上で自分はどう思い、何ができるかを考え、実行する。そのことから歴史は変わり、また始まる。」
そのアメリカ人の知人は十数年にわたり日本の大学で教鞭を取っているが、「それが今自分がここ(日本)に居る理由」という一言にはっとさせられた。私はその知人とはもう6年来の付き合いになるのだけれど、どうして今までそんなことも気がつかなったのだろうかと自分の鈍純さに呆れてしまった。
友人は上海の人なので、今年9月に発刊された中国の社会保障に関する白書を中心に報告をしてくれた。やはり研究は第一資料に、そしてその言語であたるのが基本なのだな、と思わせられるくらい、内容のある報告だった。
日本の社会保障制度は、年金、医療、介護どれをとってみても課題が多く、毎年のように見直しが行なわれている。(今年は年金、来年は介護)つまり日本の場合、社会保障制度は、再構築が求められているのであるが、中国の場合は構築が求められているようだ。今日の報告によると、年金制度があっても加入者は主に都市部に住む(都市戸籍を持つ)1億3千人程度であるし、大多数の農村部の人々は年金制度は利用できず、もっぱら家族や地域社会にその老後の財政的、身体的ケアを求めざるを得ない。医療保険も農村部では発達しておらず、「もし農村で病人がでたらどうするの?」と質問したところ、「治療費が高いため、家族は苦しい生活を余儀なくされる。病気にかからないように気をつける。」とのことである。しかし一方、都市部の場合は、医療保険(賦課方式)があり、(強制)加入者は、病気にかかった場合ある一定額まで治療費をそこでまかなうことができる。またそれ以上の治療費がかかった場合は、政府の所轄する医療基金から差額が支払われるという。
農村と都会の社会サービス落差は想像以上に大きいようだ。余談であるが、民間の生命保険に対する都市部の人々の需要はまだそれほど高いものではないそうだ。日本の保険会社も現地で合弁会社等を通じて、生命保険の売込みをしているそうだが、消費者の価値観の壁はどうもあるという。現在の中国の社会保障制度は、限られた一部の人しか利用できないため、より多くの国民が利用できる制度にdevelopしていく必要があるように思う。
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学校や駅の本屋をのぞくと新しい本が所狭しと並べられている。しばらくどんなものやらと眺めているが、買って読みたい本は全然ない。ほとんどの場合、私の読みたい本は本屋には置いていない。最近読んでいる本で最も新しいものはR.V.ケーベルの随筆集であり、約百年前の文章である。それでも最近読んでいるものの中では、頗る新しい時代に著されたもののほうに属する。もちろん、必要に応じて私とて“企業戦略”モノや“コーポレイトファイナンス”モノを手にすることはあるけれども、心から読みたくて読んでいるという意識や、読了後深い満足感と爽快感を覚えることはほとんどない。読む目的が全く違うから、当たり前といえば当たり前の話かもしれない。今の自分の読書生活に満足しているけれど、就職したらそうも言っていられないのでしょうな。わずかな報酬と引き換えに、貴重な読書の三昧境を手放すのはいかにも口惜しい。最近の読書習慣から、自分が形而上の問題により興味を抱くようになってきている。自分の来年からの職業は、ばっちり形而下の範囲に含まれるものなので、その辺りうまく折り合いを付けられれば良いのであるが、おそらく自分が認識することになるのは、その隔たりだろうか。
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「自分の国の歴史から逃げない。それは他国に身を置く人間にとっては絶対に不可避なことである」ということをアメリカ人の知人から教えられた。「決してそれは過去の人がやったこと、自分には関係ないということは言えない。自国の歴史を知り、その上で自分はどう思い、何ができるかを考え、実行する。そのことから歴史は変わり、また始まる。」
そのアメリカ人の知人は十数年にわたり日本の大学で教鞭を取っているが、「それが今自分がここ(日本)に居る理由」という一言にはっとさせられた。私はその知人とはもう6年来の付き合いになるのだけれど、どうして今までそんなことも気がつかなったのだろうかと自分の鈍純さに呆れてしまった。
Ganomes of Zurich
チューリッヒにいるスイス人の友人から近況報告のメールが届いた。今年いっぱいは大学院での研究(情報工学)で忙しいようだが、年明けは韓国の大学であるリサーチプロジェクトに参加するそう。友人の研究は少しばかりcomplicatedらしいが、間髪を入れずBut anyhow..What would life be without complicated things? :)と続けているところが何ともイケてるぞ。来年の年明け、タイミングが合えば一緒にヨーロッパ旅行に行けるかいな。。。ところでその友人の旧友が、私の内定企業のフランクフルト支店で数ヶ月働くらしい。ワーォ!!もしかしたら、一ヶ月間だけかぶるのかな。
今回みたいなメールが届いたりすると、普段は離れて生活していても心は近くにあると感じる。私は彼らとの非常にユルーいコネクションを大切にしたいと思う。
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上記ではフランクフルト支店の話がでたので、ついでにニューヨーク支店について、今日嬉しい発見をしてしまった。ニューヨーク支店のビルの前には、Isamu Noguchiの前庭があるらしい。以前京都の孤蓬庵を見学した時に、ここの雲水はなんて贅沢なんだ、と感じたが、ニューヨーク支店の社員も、これまた毎朝、毎夜、晴れの日も雪の日も、刻一刻と変化するNoguchiの作品を生活の中で味わえるなんて、贅沢だなー、と感じた。もちろん、そんな閑はないのでしょうが。ジレンマですね。
今回みたいなメールが届いたりすると、普段は離れて生活していても心は近くにあると感じる。私は彼らとの非常にユルーいコネクションを大切にしたいと思う。
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上記ではフランクフルト支店の話がでたので、ついでにニューヨーク支店について、今日嬉しい発見をしてしまった。ニューヨーク支店のビルの前には、Isamu Noguchiの前庭があるらしい。以前京都の孤蓬庵を見学した時に、ここの雲水はなんて贅沢なんだ、と感じたが、ニューヨーク支店の社員も、これまた毎朝、毎夜、晴れの日も雪の日も、刻一刻と変化するNoguchiの作品を生活の中で味わえるなんて、贅沢だなー、と感じた。もちろん、そんな閑はないのでしょうが。ジレンマですね。
華僑だった・・
私にはお金持ちの中国人の友人が何人かいるのだけど、
彼らの日常ははっきりいってケチ!
だからそのお金持ち程度について知ることは少なかった。
だけど、今日の彼らのコメントには驚いた。
彼らは11月下旬に京都に紅葉狩りに行こうと計画しており、
ホテルをネットで探していた。
私「京都に旅行?いいねー。
今はシーズンだから高いと思うけど、予算は?」
華僑友人「予算?わかんない。ないよ、別に」
華僑友人「あー、どこも満室だね」
私「どこのホテル?」
華僑友人「京都ウェスティン」
私「他のホテルを探したら?」
華僑友人「いや。だってポイント貯めているのよ」
だったらさー、200円のお弁当を高い!なんて言うなよ。まぎらわしい。
彼らの日常ははっきりいってケチ!
だからそのお金持ち程度について知ることは少なかった。
だけど、今日の彼らのコメントには驚いた。
彼らは11月下旬に京都に紅葉狩りに行こうと計画しており、
ホテルをネットで探していた。
私「京都に旅行?いいねー。
今はシーズンだから高いと思うけど、予算は?」
華僑友人「予算?わかんない。ないよ、別に」
華僑友人「あー、どこも満室だね」
私「どこのホテル?」
華僑友人「京都ウェスティン」
私「他のホテルを探したら?」
華僑友人「いや。だってポイント貯めているのよ」
だったらさー、200円のお弁当を高い!なんて言うなよ。まぎらわしい。
with my brother
ちぎれそうな痛みの筋肉痛。久しぶりの空手で、相当、体に無理をさせたらしい。上段・中段・蹴り、と連続した攻撃の型を早いスピードで行なう練習をしたのだが、足と手が別の動きをするので(当たり前!)、右左を逆に出してしまったり、余計な動きを加えてしまったりで、自分の反射神経の衰えを感じた。どうも頭で理解して暗記してからでないと、手足が動かない。また、今回は、相手に対する防御が、自分の次の攻撃の伏線になっていることを学んだ。
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久しぶりに弟(10代)と会食。美大に通う彼の話は、私にとっては非日常めいていて楽しい。長時間に渡って、表現に対する意識を高いボルテージに保つことはすごいなと思う。毎週毎週、金曜の午後は夜までずぅーとデッサンしてるって、すごすぎ。あの歳で自分の好きなことを知っているのは、わが弟ながら天晴れなことだと感じる。
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ある宇宙飛行士にある学生が「これからの時代は宇宙旅行に普通の人でも行けるようになると思います。そんな時代が来る前に聞きたいのですが、宇宙に行かなければ分からなかったことは何ですか?宇宙に行ってご自身の中で変わったことはありますか?」という質問をしていた。
その宇宙飛行士は次のように答えた。
「訓練生に認定されてから宇宙に行くまで、自分の場合、約8年かかりました。その8年間の間にこれまで体験してこなかったような辛い訓練や、宇宙飛行を支える現場の人々から沢山の話を聞きました。それらの経験が自分にとって非常に重要だったように思います。いきなりぽっと宇宙に連れて行かれても、自分のなかでは何も変わらなかったのじゃないかな、と思います。例えば、禅の修業をしている人が悟る時も、ある日悟るのでしょうが、その悟りにいたるまでには毎日の厳しい修行の積み重ねがあって初めて悟るのではないでしょうか。私の場合もそれまでの経験があったから、宇宙へ行って変わった部分があったのだと思います」
結果を重視するのであれば、なおさらそのプロセスに注意を向けるべきであると感じた。
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久しぶりに弟(10代)と会食。美大に通う彼の話は、私にとっては非日常めいていて楽しい。長時間に渡って、表現に対する意識を高いボルテージに保つことはすごいなと思う。毎週毎週、金曜の午後は夜までずぅーとデッサンしてるって、すごすぎ。あの歳で自分の好きなことを知っているのは、わが弟ながら天晴れなことだと感じる。
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ある宇宙飛行士にある学生が「これからの時代は宇宙旅行に普通の人でも行けるようになると思います。そんな時代が来る前に聞きたいのですが、宇宙に行かなければ分からなかったことは何ですか?宇宙に行ってご自身の中で変わったことはありますか?」という質問をしていた。
その宇宙飛行士は次のように答えた。
「訓練生に認定されてから宇宙に行くまで、自分の場合、約8年かかりました。その8年間の間にこれまで体験してこなかったような辛い訓練や、宇宙飛行を支える現場の人々から沢山の話を聞きました。それらの経験が自分にとって非常に重要だったように思います。いきなりぽっと宇宙に連れて行かれても、自分のなかでは何も変わらなかったのじゃないかな、と思います。例えば、禅の修業をしている人が悟る時も、ある日悟るのでしょうが、その悟りにいたるまでには毎日の厳しい修行の積み重ねがあって初めて悟るのではないでしょうか。私の場合もそれまでの経験があったから、宇宙へ行って変わった部分があったのだと思います」
結果を重視するのであれば、なおさらそのプロセスに注意を向けるべきであると感じた。
i 'm thinking..........
本屋さんでサーフィン雑誌を手に取る。え、地中海でもサーフィンできるんだぁ。
今年の夏、大西洋でサーフィントリップを計画していて断念したこともあり(国際大会が開かれるようなスポットでレベルが高すぎだった。トホホ)、今度こそ、欧州でサーフィンをやってみたいなと思う。地中海の波ってどんな感じなんだろう??そしてそこにはどんなローカルカルチャーがあるのだろう??あー、もう、うずうずしてきた。
外国人の友人が来日して、何をしたらいい?と聞かれた場合、私は「湘南・江ノ島に行ってサーフィンをすること。運が良ければ波待ちに富士山が見えるよ」と言う。実際、江ノ電に勤めている友人が言うには、富士山が雲で隠れなくしっかり見える日は多くない、ということだったが。この間、麗しい富士山の夕焼けを見ながら、恋人とサーフィンができた。それはもうこれ以上ないくらいの精神的な満足を感じた。
・・・・・・・・・
今、好きなことを我慢しないでやってまうこと、その積み重ねが将来の本当にやりたいことのエネルギーになる、と思う。
良い小学校に入るため、よい大学に入るため、よい職業に就くためのことをあれやこれや考え、「今」を犠牲にして走っていく人たち。人は「今」しか生きることができないのに。本当にやりたいことを我慢して、自分を見失った人に、本当にやりたいことをやりぬく力量はあるのだろうか。
今年の夏、大西洋でサーフィントリップを計画していて断念したこともあり(国際大会が開かれるようなスポットでレベルが高すぎだった。トホホ)、今度こそ、欧州でサーフィンをやってみたいなと思う。地中海の波ってどんな感じなんだろう??そしてそこにはどんなローカルカルチャーがあるのだろう??あー、もう、うずうずしてきた。
外国人の友人が来日して、何をしたらいい?と聞かれた場合、私は「湘南・江ノ島に行ってサーフィンをすること。運が良ければ波待ちに富士山が見えるよ」と言う。実際、江ノ電に勤めている友人が言うには、富士山が雲で隠れなくしっかり見える日は多くない、ということだったが。この間、麗しい富士山の夕焼けを見ながら、恋人とサーフィンができた。それはもうこれ以上ないくらいの精神的な満足を感じた。
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今、好きなことを我慢しないでやってまうこと、その積み重ねが将来の本当にやりたいことのエネルギーになる、と思う。
良い小学校に入るため、よい大学に入るため、よい職業に就くためのことをあれやこれや考え、「今」を犠牲にして走っていく人たち。人は「今」しか生きることができないのに。本当にやりたいことを我慢して、自分を見失った人に、本当にやりたいことをやりぬく力量はあるのだろうか。
sleeping with
昨晩フルトベングラーのベートベンを聴きながら眠りについたせいか、今朝はすこぶる調子が良い。もう少し早く起きて秋の朝を楽しみたかったけれど。風が吹き、秋の明朗な光を受け、銀杏の葉がきらひらキャンパスに落ちていく。
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時々顔を出す小料理屋さんで一人飲む。このお店にはもう随分長い間お世話になっている。夜遅くまで営業していることもあり、一人で飲んでいたり、恋人と飲んだり、家族と食事したり、友人たちとわいわい飲んだり、いろいろなoccationに応えてくれる。甘鯛と栗の蒸し物を頂く。栗はそれだけで食べることが多いので、魚と一緒に食べるのは初めてだった。なかなか美味しい。また、今年最後の鱧を食べた。東京では初夏から夏にかけてしか食べないようだが、関西ではマツタケが出回るころまでは食べるという、なかなか息の長い食材だそう。
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時々顔を出す小料理屋さんで一人飲む。このお店にはもう随分長い間お世話になっている。夜遅くまで営業していることもあり、一人で飲んでいたり、恋人と飲んだり、家族と食事したり、友人たちとわいわい飲んだり、いろいろなoccationに応えてくれる。甘鯛と栗の蒸し物を頂く。栗はそれだけで食べることが多いので、魚と一緒に食べるのは初めてだった。なかなか美味しい。また、今年最後の鱧を食べた。東京では初夏から夏にかけてしか食べないようだが、関西ではマツタケが出回るころまでは食べるという、なかなか息の長い食材だそう。
a pure guy
こなすべき仕事の量が減っていかない。本当に力をいれて書きたいペーパーやテキストが読めていないまま朝をむかえ、気がつくと夜が更けている。多くの気の合う友人らからの誘いを断り、友人の結婚式にも行けないで、本当に私は何をやっているのかと思う日もあるけれど、自分のするべきことをしていく他はないと感じる.
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昔、「HERO」というドラマがあったけれど、そこでキムタクが演じた弁護士のような弁護士に会った。ある法律事務所に所属している方で、いくつかの今日的課題に対するコメントから、この人の持っている正義に関する職務的倫理観に感銘を受けた。
通常、経済学で考えられるような情報の非対称性に関して、サービスの購入者の不利益について、何らかの価値判断を行なうことはしない。なぜなら前提となる個人は、合理的な人間を想定しているから。つまり、情報が公開されていれば合理的な判断ができると考える。また、経済学は倫理観を意識的に排除してきたという背景もある。
しかし、この若い弁護士は、情報の非対称性がある場合に「サービスの購入者が被る損失はその人の一生を左右するだけの影響を持つし、仮に非対称性が解消されていても、その情報について理解し、適切な判断ができるとは自分の実習経験から思えない」とコメントしていた。この問題は医療サービスの現場でも多く聞かれる。 「その購入者が受ける可能性のある損失を、今までは法曹教育がある一定レベルで行なわれていたことで何とか食い止めていたが、法曹人口の増加を目指すロースクール改革が進むと、ある種、カリキュラムや講師陣を揃え、弁護士を育成することがロースクールの責任になり、自分で責任を持って自主的に勉強し、法曹界に進むという人間が少なくなる。法曹人口は増えて、弁護士同士の競争は確かに進むかもしれないが、従来より質の低い弁護士が増えることで、この人たちのお客さんは相当な損失を被ることになるのではないか」と、指摘していた。「弁護士が負けても独立するなりして何とか次があるけれど、一般の人が(ロースクール改革の)損失を被るのは何とかしたい」と言っていた。このような高い倫理観を持つ弁護士はきっと少なくないのだろうな、思う。
なぜなら人は自分の所属している環境に四六時中影響されるので、この人の周りには少なくてもこの弁護士を排除しないだけの組織的な土壌と、同僚や上司がいるのだと推測されるから。いずれにしてもこの人の澄んで明るい瞳が印象に残った。
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初めての人に会うことは、自分を知る契機にもなり基本的に好きだが、このような人に会うと、自分の至らなさが目に付いてしまう。良薬、口に苦しということか。
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昔、「HERO」というドラマがあったけれど、そこでキムタクが演じた弁護士のような弁護士に会った。ある法律事務所に所属している方で、いくつかの今日的課題に対するコメントから、この人の持っている正義に関する職務的倫理観に感銘を受けた。
通常、経済学で考えられるような情報の非対称性に関して、サービスの購入者の不利益について、何らかの価値判断を行なうことはしない。なぜなら前提となる個人は、合理的な人間を想定しているから。つまり、情報が公開されていれば合理的な判断ができると考える。また、経済学は倫理観を意識的に排除してきたという背景もある。
しかし、この若い弁護士は、情報の非対称性がある場合に「サービスの購入者が被る損失はその人の一生を左右するだけの影響を持つし、仮に非対称性が解消されていても、その情報について理解し、適切な判断ができるとは自分の実習経験から思えない」とコメントしていた。この問題は医療サービスの現場でも多く聞かれる。 「その購入者が受ける可能性のある損失を、今までは法曹教育がある一定レベルで行なわれていたことで何とか食い止めていたが、法曹人口の増加を目指すロースクール改革が進むと、ある種、カリキュラムや講師陣を揃え、弁護士を育成することがロースクールの責任になり、自分で責任を持って自主的に勉強し、法曹界に進むという人間が少なくなる。法曹人口は増えて、弁護士同士の競争は確かに進むかもしれないが、従来より質の低い弁護士が増えることで、この人たちのお客さんは相当な損失を被ることになるのではないか」と、指摘していた。「弁護士が負けても独立するなりして何とか次があるけれど、一般の人が(ロースクール改革の)損失を被るのは何とかしたい」と言っていた。このような高い倫理観を持つ弁護士はきっと少なくないのだろうな、思う。
なぜなら人は自分の所属している環境に四六時中影響されるので、この人の周りには少なくてもこの弁護士を排除しないだけの組織的な土壌と、同僚や上司がいるのだと推測されるから。いずれにしてもこの人の澄んで明るい瞳が印象に残った。
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初めての人に会うことは、自分を知る契機にもなり基本的に好きだが、このような人に会うと、自分の至らなさが目に付いてしまう。良薬、口に苦しということか。
beyond words
日も暮れ始めた休日の午後、一人、門を開け、雨に濡れた露地に入り、飛び石を渡り始める。渡りながら腕時計をはずしバックにしまうと、もうすでに隔世の感を感じる。さっきまでの新宿の喧騒や、ランチを共にした心惹かれる人のことなど、認識がうっすらと弱くなってくる。お茶にはそういう力がある。
利休が切腹した後、7人の弟子たちが残った。利休7哲と呼ばれる人たちだが、この人たちは利休を心から敬愛し、その死を悲しんだ。
お茶はただお湯を沸かして茶を点て、飲み、交わす言葉も決して多くはない。お互いの交流はある形式に則ってなされ、その付き合いは形式的、あるいは表面的ともとれなくもない。しかしながら、その場にいる人々同士の心の結びつきは深く、強いと考えられる。
「茶道において、人と人をここまで結びつけるものは一体何か?」という問いかけを先生から受けた。私の先生は時々生徒に、至極まっとうな問いかけをする。100年考えても答えきれないような。
その答えは、「すでに言葉を越えているものだと思う」と応えた。
利休が切腹した後、7人の弟子たちが残った。利休7哲と呼ばれる人たちだが、この人たちは利休を心から敬愛し、その死を悲しんだ。
お茶はただお湯を沸かして茶を点て、飲み、交わす言葉も決して多くはない。お互いの交流はある形式に則ってなされ、その付き合いは形式的、あるいは表面的ともとれなくもない。しかしながら、その場にいる人々同士の心の結びつきは深く、強いと考えられる。
「茶道において、人と人をここまで結びつけるものは一体何か?」という問いかけを先生から受けた。私の先生は時々生徒に、至極まっとうな問いかけをする。100年考えても答えきれないような。
その答えは、「すでに言葉を越えているものだと思う」と応えた。
dialog@銀座
ある街において、地域住民とマンション業者が、景観とビジネス活動の自由を求めて訴訟を行なっている。それを私の友人がinterviewしていたので、少し話を聞いた。
数年間にわたり、地域住民はその美しい景観のある地域をごみを拾ったり、家を増築したいのを我慢したり、洗濯物を干したりしないで、守ってきた。自分の権利を制限してまでその景観の美しさに尽力したということで、「その景観を享受する権利」が仮にあるとする。「その権利」をあるマンション業者は、(その地域の感覚からいうと)高層のマンション建てることで、侵害したと考えられている。
マンション業者は事前に役所への説明を行なうことや許可を得るといった行政上の手続きは行なってきたけれど、地域住民への説明は、少なくても住民が望む形では行なわなかった。「法律には違反していない」ことを全面に出し、説明をする意義について理解をしていないかのように、説明を住民に対して行なった、と考えられている。
説明をする意義とは、自分の行なう活動を利害関係者に説明をして、彼らとの対話をすることにある。対話からお互いの理解が得られ、両者の人間関係が変わり、信頼関係に築かれ、譲歩も妥協といった紛争解決も可能になる。ただ一方的な情報の通達に過ぎない説明会を誰が望むものだろうか。
地域住民の一人は「あのマンション業者でなければ、私たちだってわざわざ訴訟までやっていなかったかもしれない」いくつものミスコミュニケーションを経て訴訟が行なわれるようになった。友人の話から、企業がパブリシティを軽視した結果の訴訟のように感じた。
数年間にわたり、地域住民はその美しい景観のある地域をごみを拾ったり、家を増築したいのを我慢したり、洗濯物を干したりしないで、守ってきた。自分の権利を制限してまでその景観の美しさに尽力したということで、「その景観を享受する権利」が仮にあるとする。「その権利」をあるマンション業者は、(その地域の感覚からいうと)高層のマンション建てることで、侵害したと考えられている。
マンション業者は事前に役所への説明を行なうことや許可を得るといった行政上の手続きは行なってきたけれど、地域住民への説明は、少なくても住民が望む形では行なわなかった。「法律には違反していない」ことを全面に出し、説明をする意義について理解をしていないかのように、説明を住民に対して行なった、と考えられている。
説明をする意義とは、自分の行なう活動を利害関係者に説明をして、彼らとの対話をすることにある。対話からお互いの理解が得られ、両者の人間関係が変わり、信頼関係に築かれ、譲歩も妥協といった紛争解決も可能になる。ただ一方的な情報の通達に過ぎない説明会を誰が望むものだろうか。
地域住民の一人は「あのマンション業者でなければ、私たちだってわざわざ訴訟までやっていなかったかもしれない」いくつものミスコミュニケーションを経て訴訟が行なわれるようになった。友人の話から、企業がパブリシティを軽視した結果の訴訟のように感じた。