夜と霧 | 誰もがいつか越える坂道、その先には。。。

強制収容所にいた経験のあるユダヤ人精神科医、

ヴィクトール・E・フランクルの言わずと知れた名著。

哲学書読んでた時期に読んじゃいたかったけどいまさらながら。

 

ナチの強制収容所の悲惨さは映画やら本やらで

知識としては知っていたので、その点は衝撃はなかったけど、

後半で語られる「生きる意味」についての考察は興味深かった。

 

若干キリスト教的考え方が入っている気がしたので

完全には同意できないけど、そういう見方もあるんだなーと。

 

 
【備忘メモ】
●「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」(ドストエフスキー)
 
●finishの語源であるラテン語の「finis」には、「終わり」と「目的」の二つの意味がある
 
●いつ解放されるかわからない状態が続くと、つまり「未来の目的」を失うと、内面が崩壊する
 絶対的な未来喪失を感じると、現在に高をくくり、追憶に生きるようになる
 
●強制収容所は、1944年のクリスマス~1945年の年始の間に大量の死者を出した
 労働条件や食糧事情などには変化がなかったが、クリスマスでも希望が叶わなかった、
 という絶望がそうさせたのではないか
 
●「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)
 
●「生きるとはつまり、生きることの問に正しく答える義務、
 生きることが各人に課す課題を果たす義務、
 時々刻々の要請を満たす義務を引き受けることにほかならない。
 この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。
 ~生きる意味を一般論で語ることはできない~」
 
●親衛隊員やカポーの中にも、人格者はいた
 「全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。」
 
●「人間とは、なにかをつねに決定する存在だ。
 人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、
 ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」