こんにちは。

 

小夜子です。

 

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夫(夜明けさん)に拒否される側のレス妻です。

 

新婚からずっとセックスレス。

気づけば干支一周回ってました。

 

私と夫の夜明けさんが本当の意味で向き合い始めるまでの12年間の歩みを綴っていきます。

 

本ブログはセックスレス解消指南ブログではありません。

 

「どう生きるか/死ぬか」に真剣に向き合った私の人生のターニングポイントの記録です。

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前回のお話はこちら

 

 

説明を受けてすぐに人工授精をしようと前向きな姿勢で受け止めた私に、お医者さんがかけた一言。

 

「それが本当の意味で良いのかどうかは分からないけど」

 

 

 

100人いれば100通りの解釈がありますし、

その時の受け取り手の境遇、メンタルの状態などによっても変わってきます。

 

 

どれが正解というものでもないですし、すべて正解なのだと思います。

 

 

 

あの時お医者さんがどういうつもりで私に伝えたのか、

本当のところはいまだにわからないですが、

 

 

私なりにこのように解釈をしました☟

 

 

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先生に、何故私達がセックスレスに陥ったのかは詳しく説明はしていません。

 

「妻だからセックスが出来ないそうです」としか伝えていません。

 

私達のようなケースを見て来たのかどうかは先生に聞いてみないとわかりませんが・・・

 

 

 

結果は得られるかもしれないけど

私達夫婦の地盤はとても危うい事に対する警鐘を投げかけたかったのだと私は解釈しました。

 

 

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私達夫婦はこの時既に立派なセックスレスの仲間入りを果たしていました。

 

新婚夫婦であるのにも関わらずセックスはないし、

さらには夫は「妻が家族」となりすぎて肝心の子作りですら機能しなくなっていました。

 

 

ただ・・この時私はまだ分かっていませんでしたが

 

「セックスがある・なし」が問題の本質なのではありません。

 

 

 

 

 

「セックスレス」というのはあくまで表面上に出てきている一部の「現象」なだけであって、

 

私達夫婦の一番の「膿」は

 

お互いが向き合えていないこと、

向き合っているように見えて実はずっと並行線を辿っていたことにありました。

 

 

 

 

ちなみにセックスレスというのは1か月に1回セックスをしない夫婦を指すと定義されていますが、それはあくまで「目安」のことであり、正確には頻度の基準では推し量れないものだと思っています。

 

 

「どちらか一方がしたいと望んでいるのに、片方が拒否をしている状態」

これをセックスレスだと思っています。

 

 

夫も妻も、両方ともが「私達はもうセックスしなくて良い!!」もしくは「一年に一回あればいい」といった具合に頻度や回数まで

満足度が一致していればそれはセックスレスには当たらないと思っています。

 

 

一年に一度もなくても、結婚生活で一度もなくても、

お互いがそれでよしとしているのであればそれは「レス」ではありません。

 

 

どちらか一方が望んでいるのにも関わらず片方が拒否をし続けたり、また両者間で折り合いがつかなかったり、ズレが生じているケースをレスだと私は思っています。

 

 

 

 

そして私達夫婦は「私は求めているのに夜明けさんは拒否している」という構造から見て取れるように立派なレスの仲間入りを果たしていましたが。

 

それでも問題の根幹は「レス」ではないと思ってます。

 

 

何故このようなことになってしまっているのか、根本的なところで全く向き合おうとしてこなかったことが私達の「膿」だと思ってます。

 

 

 

 

私は本当は心の中では夜明けさんともっと触れ合いたいと思っているのにも関わらず

夜明けさんに嫌な顔をされるのが怖くて自分の気持ちを押し殺続けていました。

 

相手の顔色ばかりうかがって「自分はこうしたいんだ!」と意思表示することが出来ませんでした。

おりこうさんを演じる自分から脱却できなかった。

 

 

 

そして夜明けさんは自分の弱さや脆さを妻に見せる事が出来ず、

その場限りのウソを並べ、薄っぺらい希望をちらつかせながら

愛する妻を飼いならそうと必死に繋ぎ止めていました。

 

 

 

表面上はすごく仲良しの夫婦に見えるのに

根本的なところではお互いが仮面をかぶり続け、

脆くてゆるくてスッカスカ。

 

 

 

今、この瞬間に真剣に対応しなければいけないことがあるのにも関わらず、

そしてこれまでにも同じように「立ち止まって考えるポイント」はあったはずなのに、

 

 

そのたびに、とりあえず傷口を防ぐことばかりに気を取られて、

二人の中の「大事な核」を見逃し続けてきました。

 

 

 

私達の本当の問題は「レス」なのではなく、

 

お互い自分の気持ちを「本当の意味で」正直に相手に伝えられなかったこと、

なりふり構わず本気でぶつかれなかったこと。

いつもどこかブレーキをかけて、優等生でいようとし続けたこと。

 

 

向き合えなかったことにあると思っています。

 

 

 

そして今、私はまた すぐに結果を求めようとしています。

 

 

子どもさえできればきっとレスの問題もいったん落ち着くはず。

子どもさえできれば私達夫婦は良い家族になれるはず。

 

 

 

目先の「子どもが欲しい」という願いを貪欲に追求しすぎるがあまり、

私達二人の抱えている問題の本質に目を向けることなく、

「どうにかなるだろう」と思いゴリゴリ突き進んでしまう一種の危うさ。

 

 

それを先生は感じ取って

 

「子どもには恵まれるかもしれないけど、本当にそれでいいのか?

 

今の脆い地盤の上に家を建てても、いつかきっと歪みが発生して見直さないといけないタイミングが来るよ。

 

問題の先送りは先送りでしかない。」

 

 

ということを先生は暗示していたのかなと思えてなりません。

 

 

そして私はその後案の定、

一見誰から見ても仲良しの夫婦に見えるのに大きな何かが欠けている私達夫婦の異常さ、

 

なんでも話せるのにセックスのことに関してだけは一切口を挟めない、

自分の本当の気持ちを正直に打ち明けられない夫婦関係に思い悩み、

自分を自分で大切にしてあげられない牢獄のような生活に、

 

 

 

 

 

時折あの時言われた「本当の意味」というものを

 

 

何度も何度も自分自身に問いかけ、

自問自答を繰り返すことになるのでした。