●●は小学生時代から母親に放置されて育った。
母親は仕事にでていて、日中は祖母の家で養育されていたが、母親に男ができたことから祖母から引き離された。
小学生から高校生になるまで、朝食、夕食はコンビニの総菜パンなどを購入して食べていたそうだ。

●●には家出癖があり、高校生になるまで様々な友人の家を転々とし続けた。

学校にも行かず、他人の家庭に居座り続けることを親が容認していたというから驚きだ。


●●は非常に外面がいい。
私が彼と結婚した時に抱いていた彼のイメージは、いま次々に暴かれている彼の本性とはまるで別人だ。

あまりに本性と外面がかけ離れているのは、もしかしたら友人の親に気に入られるための習性ではないのか。

そう指摘されたことがあった。

他人に取り入って利用する。
子供の頃にそうやって生きるしかなかったから、庇護を求める習性が大人になっても残っていた。
 


●●は誰かに何かをしてもらっても感動が薄いことがよくあって、違和感を感じてきた。


ありがとね、
そんな無感情な一言で終わり、
当たり前のように受け取る。

贈られたものを、相手の負担を考えて大切にしたり、何か恩返しをしなければという感情が薄い。

奢ってもらうときは金額も考えずにここぞとばかりに食べるし、
物を買わせるために財布を忘れたと言っては私の親や兄弟を店へ店へと連れ回すし、
浪費して私の金を必要としたときも、
図々しくふてぶてしく無感情で、その後の責任についてはまるで忘れたかのように触れることはなかった。


これまで数々の家族のなかに自分を仮置きしてきた可哀想な放置子だった●●。
彼を家に招き入れた大人たちは、罪悪感や同情、そして子供だという理由から食費などの滞在費を請求することはなかっただろう。
●●はそれを当たり前のように受け止め、その責任を自分が負う立場にないと蚊帳の外にいた。
次から次へと他人の家に移り住むうちに惨めさは生きるための本能により進化し、ある種の逞しさへと変貌していったのだろう。


●●は大人になってもこの可哀想な放置子、庇護される側であるという意識が付きまとっているのだ。

自分が居候していた数々の家庭に挨拶すらしなかった自分の母親と義父の姿を見ていては、なぜ自分が他人の家庭に受け入れられたか、どのように負担がかかっているかなどに考えが及ぶわけもない。


そして居候を続けていた家出少年は、大人になっても本当の意味での家族を理解できず、
妻や子供、本物の家族ができてからも自分がその一員であるということが分からず、
これまでのように私・娘・息子の3人家族のなかに自分を仮置きしていた。
だからこそ無断で借金や債務整理ができ、子の養育への責任にも他人ごとだったのだ。

●●は、私たちの人生と自分の人生を紐付けできていなかった。
私の信じていた父親や夫としての●●は、ただの居候でしかなかったのだ。


私の人生へ居候して、
子供ができ、出費が増え、
負担が私の許容範囲が越えて寄生先として成り立たなくなったから他の寄生先へと移り住む。
そして今、年下の元同僚の家へ居候をしようとしている。

追い出されたら次、また次へと、
愛嬌よくふるまいながら、これからも寄生先を次々に変えて生きていくのだ。