失敗の反対語は成功   

ではなく、何もしないこと。

これは失敗を積み重ねて、成功した人だからわかる言葉だということを
心から実感しています。  

サラリーマン生活を27年間続けて50歳になった時に、平凡な日常の繰り返しの中で
半世紀を振り返った時に、ここで何かをしなければ一生「後悔」して終わるような気がして

とりあえず動こうと思ってカウンセリングの学校に通ってから、数か月後に東北大震災

学校の先生がいち早くボランティアグループを立ち上げたので、これに参加しました。


実際に費用が掛かることだから、真っ先に妻に相談しようとしたら、ちょうど、
妻が義援金をおくろうか?という話をしてきたので、

「じゃ、それを僕に預けてよ」
と言って軍資金としてもらってボランティアに行きました。


それから3か月の間に経験したことは、一生忘れられないし、あの時行ってよかった。
後悔しなくてよかったと感じています。     


前の会社も待遇や給与面では問題はありませんでした。
安定した生活を確保するにはあと数年我慢するという選択肢が一番波風が立たなかったと
思います。

2年くらいいつ辞めようかと思ってはいましたが、その理由が不明確でした。
次の仕事のプランもない訳ではないけれども、じゃ実際にどうするのかと言ったら
そこまで明確にはなりませんでした。 


だから、辞めなかった。                                 


それでも最終的に踏み切った時になんて思ったかといいますと。  


「このままだったら馬鹿になる」   と思ったんです。


馬鹿になってあと5年我慢するという選択肢もありましたが、
ある一言で「切れました」。 

ここの話の詳細は、どこの会社でもきっと良くあることです。 
馬鹿な上司がいて、みんなから人望があると勘違いしていて、
役職だけで給料が一般社員よりもいいことに女遊びがステイタスだと。 
営業戦略も毎年クルクル変えては、何の成果もあげられないことを前線の営業マンの
せいにする。 

どこにでもいるバカな上司の一言が決断をさせてくれました。 

そんな上司からの最後の飲み会の誘いをあからさまに断って、慕ってくれていた後輩が
数回飲み会を企画してくれて、心から楽しめたのが本当によかったと思います。 


「これからどうするですか?」とずっと一緒だった女性アシスタントが聞いてきので
当面は、夢の失業保険暮らし! といったら

えーそれじゃヒモ生活じゃないですか

って言われたのでそれ以降、これからどうするんですか?って聞かれたら
当面ヒモ生活です。  と答えるようにしてます(=⌒▽⌒=)


そんな優しい後輩たちに、僕は宣言してしまいました。  
「ここでもらってた給料の倍を稼げるようになったら、みんなに会いにくるわ」と   


ので、何としても結果を出さないといけないという状況であります。 
現在、新しいビジネスの仲間にも恵まれてスタートしました。  
絶対に目標達成までやり通しますよ。
ブログの最初だから華々しくスタートしたかったが、お見舞いを書かないではいられなくなった。

東北大震災から4年半が経ちましたとテレビでアナウンスされていたかと思ったら
茨城県や東北でも大きな水の被害が発生してしまった。


災害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。


ただ、テレビ報道を見ていて気になったことがあった。

アナウンサーが被害に遭われた方にインタビューをしている。
特に前日、自衛隊に救助されてそれが報道されていた家族のところに行って
あの時に救助された○○さんですと紹介して、助かった時のことや
これからのことを盛んに聞いていると

○○さんはいろいろな感情がこみ上げて、嗚咽してしまった。

そして、また「被災地、被災地」を連呼している。


被災地には間違いないけれどもわかりきった状態を繰り返し表現し発信することの
影響はないのだろうか。


当事者の方々の気持ちはどうかなと感じる。


被害にあった方と同じ目線で同じ空気を感じて発したことばであるかどうか
ここが大事だと思う


僕は、4年前東北震災の時に、現地にボランティアに行き最初に感じたことは
テレビで放映されている映像とは全く違っていたことだった。

何が違っていたか

それは、臭いと埃にまみれた空気
そして、360度のパノラマで襲ってくる瓦礫の光景

僕らの役割は、地震発生後の3ヶ月という時で、自衛隊をはじめとする
消防や警察が第一次救命をした後のボランティア

この時に必要とされるのは、まずは目の前の泥をかきだす作業をそっと
始めて差し上げること、そして、何が困っているかお聞きすること

被災された当事者の方々は、現実を受け入れることもままならず
呆然としている状況で、自分の周りで、ボランティアの方が泥をかき出してくれる
姿に半日経ってやっと気が付いて、すこし我に返ることができる

それが実体

そして、人の助けですこし平常を取り戻したら、少し自分でも泥をかき出してみる

ここまでの時間がどれくらい必要なのかは、寄り添ってみないとわからない


だから、つい2日前に自衛隊に救出された家族に同行して、悲惨な家の中を見て
インタビューするなんてことが本当に必要なのか僕には理解できない


このインタビューアが、インタービューはそっちのけで
先ずは、少しだけでも家の片づけを手伝いましたという風にならないかと期待したが
それはかなわなかった


まだ行方不明の方もいる
何が、今、被災された方々は必要としているのか
それを、吸い上げて行政につなげるようなことが今できることのひとつではないか

民主主義民主主義と政治問題においては、既成の語り口のように報道し、解説するが
本当の民主主義とは、困った人を目の前にして、何をするかが問われることではないのか
と言いたい

被災地被災地を表現マニュアルをなぞった心無い表現で繰り返して、傷ついた民の心を
更に傷つけるようなことだけはしてほしくない。