誰が反応するわけでもないブログないなので思うままに綴りたいと思います。
脳死を死ととらえる国は圧倒的に多いわけではありません。
かなり限られた国です。
ゆえに移植先も限られるわけですよね。
実際、脳死と判定されてから10年後に意識を取り戻した例があるのを始め脳死と判定されてから意識を取り戻すことは奇跡とゆうよりは意外とあるといえるほど現実的には起きてます。
特に若い世代には。
それでも確かに圧倒的に意識を取り戻すことなく亡くなられることが多いのは事実ですが脳死は厳密には死と表現できるものではありません。
意識がないだけで、意識を取り戻すことが世の中で何例もあるのですから。
今日TVに出ていられた息子さんを亡くされた方が話していたのですが、自分の意思を明確にする必要がある。と言ってました。
15歳にも満たない子達にそのようなことを要求するのってどうなんですかね?
小学生相手に脳死になったら臓器移植する?しない?などと親が聞けますか?
子供もそれを認識して判断できるのでしょうか。
あまりにも自己中的なものの考え方なんじゃないかなと思います。
移植を待たれているお子さんをお持ちの方や親類縁者の方には大変申し訳ないと思いますが、本来その命はそこで絶たれることが自然界での慣わしです。
そういった疾患をもって何とかするのは人を置いていません。
悲しいことかもしれませんが、それは神の領域に踏み込むことで本来存在しないはずの命を世に残そうとする行為です。
確かにそのこが生きる権利があるとゆうのであればあるでしょう。
それは、移植などしない上での話だと思います。
先にも話したとおり、提供側にも生きる権利があるのです。
脳死は完全なる死ではありません。
ゆえに意識を取り戻すことがあるのですよね。
そしたら臓器移植を受けるとゆうことは人の生きる権利を奪い取る事になります。
人を1人殺して自分の子供を生かすのだと肝に銘じて生きていくのならそれでもよいかも知れませんが、そのTVに出ていた方のように、やれ自己主張だ、自己責任だ、そんな言い方するような人間の子供になど提供されたくはないですね。
私は自分の意思で献血には何度か参加しています。
しかし臓器提供、骨髄移植には協力する意思はありません。
私は世の中嫌いな人間が多いですからそこまで協力したいなどとは思えません。
私は万が一にも彼女ができることはないでしょうし、ゆえに結婚して子供ができる事もないでしょう。
仮に我が子ができたとして心疾患などで余命いくばくもないとゆうのであればそれを素直に受け入れるつもりです。
辛い大変な思いをして新しい命を世に生み出してくれた奥さん?には悪いですが同じようにしっかりと受け入れてくれるような相手を探そうと(あればですが)思います。
それを受け入れないのは身勝手なエゴだと思います。
最近はそういった大人が多く育てられたせいか電車の中で走り回って騒ごうが親は全然怒らない。
でっかい乳母車で電車に乗り込んできて当たり前のような顔をしている。
きちんとした躾ができてないのではないかな?躾ができないんじゃないかな?だから一時期話題になった学級崩壊。
今でもそうでしょうけど、学校は躾する場所じゃないですから。躾は親がするものでしょ。
自分の子助けたい気持ちはわかるけどそこまでいってしまったら完全にエゴだと思いますよ。
自己中で身勝手な意見です。