★今日は何の日、㊗上皇さまお誕生日おめでとうございます✨
もう、忘れてました。
1933年
上皇陛下(継宮明仁親王) (天皇(125代))
バス停で、押上の“電波塔”が、いつもより明るいから、
2023-12-23なんか遭ったんですかねというと、
隣、バス停でバス待ちかなり年配女子?が
〝きょうは天皇誕生日〟というから?
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 という感じで〝天皇誕生日は2月〟と
『売り言葉に買い言葉』みたいにいうと、
その、オバサン〝上皇さま誕生日〟と言い直した。
ほかには、
1939年
水森亜土 (イラストレーター,タレント)様BIRTHDAY❗
         この日に〝命日〟なのが、歴史で有名。
子ども時代に、テレビ朝日さまだったか忘れたが、ドラマ化されたの観た。
1948年、首相(40代),東條英機さん。軍需相(初代),陸軍相(31代)) <63歳>
A級戦犯として絞首刑[1884年12月30日生]だった。

1948年廣田弘毅 首相(32代),外相(49~51・55代)<70歳>さまドラマ有。
文官で唯一のA級戦犯として絞首刑[1878年2月14日生]された。
進駐軍の裁判では、一切何も言わないで、裁判受けた。
遺族さんの希望虚しく、昭和天皇の代わりに亡くなった人?
みたいな人のドラマ化だった。
このドラマ観た時、廣田弘毅さまは〝日本のキリスト〟と想えた。
東條英機さんは軍人だったから〝死刑〟は仕方ない。
日本には〝切腹〟という〝自殺〟があったけど、
〝東條英機元首相〟さんや〝廣田元首相〟さん、〝切腹〟のつもり?
だったのかも知れない。
当時の欧米人には判る事無い事だと想えた。

「もうひとつの家族」※字幕
橋本愛演じる、役、NPOの人〝もう一人家族〟悩ましい。
橋本愛さんが、養子役になっていたんで、前編とは全く違った展開になった。
草彅くんは以前に警察で働いていた、〝辞め刑事〟という設定。
〝手話〟が巧い〝もと警視庁職員〟で、
テレビ朝日さま〝相棒〟で、水谷豊さんが、『正義感』の演技している以上に
〝正義感〟固まりの〝手話通訳士〟演じていた。
最後、橋本愛演じている、NPO法人代表が、
自分自身の結婚式で、結婚式会場で、自分自身が子ども時代に
〝人を殺した〟事を〝手話〟交え、告白。
ほんとうのお父さんが聴覚障害持っている人で、
お姉さんと一緒に警察に行くシーンで終る。
まだまだ、PART2が有りそうな物語。
〝相棒〟みたいに〝Season22〟とかにはならないが
続編として、〝裁判〟シーン演って欲しいと想えた。

この上皇さまBIRTHDAYは、キリスト一色の日に
〝日本の神さま〟の〝神道〟及び〝修験〟復活を想わせるので、
〝令和上皇さま誕生日〟として、〝永遠〟に記念日にして貰いたい。
ほかに、
1960年
宮部みゆき (小説家『理由』『模倣犯』)1998年下期直木賞
宮部さんがBIRTHDAY!
宮部さんお誕生日に、〝社会派〟の推理ドラマを観た感じ。
草彅くん、他の民放で、〝刑事ドラマ〟やんないかな?
〝水谷豊〟さんより、もっとIQ高そうな、もと刑事に視えた。
スピンオフとか続編演って欲しい、草彅くんで。

★NHKさま〝太宰治『走れメロス』〟(甲府温泉)
作家人生を変えた温泉の体験。
六円の家賃で最初奥さまと、現在相場だと6万円代家賃!
〝もう1つ温泉〟『湯村温泉』  太宰治最初奥さま、石原美知子さん。

ナトリウム等含む飲める温泉、湯村温泉水、太宰呑んでいた。

都内引っ越し。人付き合い苦手。山崎さんと知り合ふ。

〝走れメロス〟太宰治じゃ無く、奥さんのみちこさんが描いてたりして?
太宰治に、アイデアを与えたんじゃ?

次、〝細雪〟書いた、谷崎潤一郎さん。嗚呼、有馬温泉、東京から遠い。

★Eテレさま 阿佐ヶ谷アパートメント スピンオフ企画

ヤンキー×難病の車いすユーザー。日本一のギャル×視覚障害者。
ギャルのガイドヘルパーは、わたし以上に下手なガイドヘルパー。
だけど、下手でも愛が滲み出ていた。
〝福祉ボランティア〟を厚生労働省の職業訓練として入れられた方がいい。
変な資格〝職業訓練のカウセリング〟とる様なセミナー受けた事あった。
ハローワークの雇用のお金で行ったセミナーだった。
東日本地震で〝被災〟された人もいらっしゃるセミナーだった。
そう云うセミナーよりも、ガイドヘルパー資格とるセミナーが良い。
自分自身場合〝派遣社員〟しながら、〝ヘレン・ケラー協会〟だかで
〝ガイドヘルパー〟講習を受けた。十万円位迄かかった講習費は自腹。
そのように民間で、講習費負担して受けさせるんじゃなく、
しごとセンター〟の〝心得〟の一つとして、
〝ガイドヘルパー〟講習をするほうが、国民教育だと想えた。
義務教育の卒業寸前で、〝ガイドヘルパー〟講習うけたり、
特別支援学校のボランテイアを特別扱いせず、
〝普通学級〟の子どもを〝交流〟させる教育をして欲しい。
〝発達障害〟持っていて、グレーゾーンのため〝普通学級〟に行く?!
そう云う子どもが第二次世界戦以後も、沢山いた。
昭和高度成長期、黒板前でずっと聴くタイプのお勉強はつまらないと
想われた。
眠かったので、富士山視える拝島第三小学校校舎から外ばかり観ていた。
飽きた。その以後、授業中は寝る時間。
先生の話なんか、〝授業中『脱線』〟した時しか聴いてない。
そう云う事業じゃ無く、高尾山の元ユースホステルの博物館等で
〝ネイチャーガイド〟みたいな講習を10代20代向けにするほうが
どれだけ、勉強になるんだ。
Eテレ様番組みて想われた。