このようにしてみるといわゆる「知的生物」というのはすべてこのような運命にあるようだ。知的になるためには意欲がなければならない。意欲が生じるためにはもっと原始的なレベルで攻撃性が存在していなければならない。100万年前のサル的人間は「殺し」が職業であったのだ。これは猿人の頭蓋骨の中で明らかに棍棒で(右利きによって)殴られてできた穴があることで証明されよう。

宇宙に思いを馳せる人々の中にはこの広い宇宙にはきっと知的生物がいるに違いない、われわれ人間は孤独ではない、と信じて日々電波望遠鏡を暗い空間に向けている人々がいる。いつか宇宙人の発信した信号が地球に到達するだろうと。だが、知的生物の進化の過程をたどってみると、どこの星でも彼らは環境問題でつまづき、結局の所われわれと交信するほどの文明を築き上げる前に確実に絶滅してしまっていると考えてよかろう。

このような推論は別にペシミスティックなものではない。「知性」というものを身につけたこと自体が、最終的に運命づけられている到達地点なのである。もし運良く人間だけがこの地球から消滅し、放射能汚染が広がらなかったとすれば、ある作家が言っていたように、「地球は太陽が膨張を開始するまで緑なす山々におおわれて存在し続ける」のであろう。