原始時代においては戦争は狼のような捕食者を持たない人類にはどうしても必要な人口調節装置であったと見てよい。だがこの攻撃性が戦争という破壊以外の方面に向くとこれが様々な形で現れることになる。

その一つが都市と文明の出現である。攻撃エネルギーは、都市に集まることにより物欲、名誉欲、その他あらゆる種類の欲望に一部姿を変えた。人間の持つ攻撃性は抑えられるどころか、別のもっと多様な形になったので一層強化されることになったのだ。人々は商工業にいそしみ、巨大な建築物や帝国を作ることによっていっそうそのエネルギーは発揮されるようになった。

これが不幸の始まりであった。今イラクの砂漠やギリシャの荒涼たる森林のない光景は文明によって作られた。すでにこの時代から自然の破壊は徹底している。ただ科学技術が不足していたから小規模で済んだというだけである。

人間エネルギーのもつ最大の特徴は内面的にも外部的にも歯止めが利かないということである。儲かればもっと儲けようとするし、開発を行えばさらに開発する場所を広げようとする。アメリカ大陸の西部開拓時代のころ、人々は西へ進む意欲を「 manifest destiny 明白な運命」などと名付けて当然のことと思っていた。遂に太平洋西海岸に到達すると、今度は海外に開発の場所をもとめて止まない。