公明党が連立離脱のニュースが流れました。
自民党総裁が初の女性がなったところなのに、総裁になったけど、
総理大臣になれない事態となる可能性が強いようです。
連立協議を、公明党が一番ではなく、国民民主党の次になったこと。
裏金議員を、党の役員に起用したこと。
役員に公明党とのパイプ役がいなくなったこと。
などなどが理由で、連立から離脱を決定。
総理大臣は、野党第一党の野田さんが二回目の総理大臣に
なるべきであろうが、一回目から人気がないため、石破さんの
あとに、玉木総理が誕生してしまうかも。
公明党が連立離脱のニュースが流れました。
自民党総裁が初の女性がなったところなのに、総裁になったけど、
総理大臣になれない事態となる可能性が強いようです。
連立協議を、公明党が一番ではなく、国民民主党の次になったこと。
裏金議員を、党の役員に起用したこと。
役員に公明党とのパイプ役がいなくなったこと。
などなどが理由で、連立から離脱を決定。
総理大臣は、野党第一党の野田さんが二回目の総理大臣に
なるべきであろうが、一回目から人気がないため、石破さんの
あとに、玉木総理が誕生してしまうかも。
今回、2日間 借りたレンタカー トヨタ ヤリス 1000cc ガソリン車ですが、
高速利用200キロ・蒸し暑いのでエアコンオンで、走り、渋滞の松山市内70キロ
で、15.6キロ/リットルの成績でした。
但し、ACCはついていなかったので、高速でアクセルを踏み続けていますし、坂も多いので、
15キロも走ったので、燃費としては、普通ではないでしょうか。
松山城の西側の道後温泉の南側に道後公園があり、その公園が、湯築城跡です。
西口駐車場(有料30分100円)にレンタカーを止めて、城内に入りました。
湯築城資料館で、資料をもらい、お城スタンプを押しました。
資料館は、無料で、城跡・館内の説明をしてもらえました。
堀・土塁が残る城跡で、公園として整備されています。
宇和島城で、また一汗かいて、次の目的地 大洲城跡へ向かいました。
最寄りの駐車場は大洲市民会館駐車場(有料最初の1時間160円、以降30分80円)
ですが、満車のため大洲市観光第一駐車場(無料)がありました。
松山自動車道大洲肱南インターチェンジより 約10分
宇和島城からは、北に約30分です。
大洲城は、アニメ「雀の戸締り」で、お城がすこし映るのですが、
聖地巡礼の目的地でもあります。人気は高く、平日ですが、宇和島城より
登城者も多い城でした。
城は、天守は、木造で復元した立派な建物で、
隣接する台所櫓・高欄櫓は、
重要文化財です。天守の入場料は、550円。お城スタンプは、入場後の
天守内にありました。
河後森城をあとにして、次の目的地は、宇和島城跡です。
松野町の道の駅からは、約30分です。
宇和島城(城山)について - 宇和島市ホームページ | 四国・愛媛 伊達十万石の城下町
駐車場は、城下駐車場(1時間100円)に止めて、北側登城口から、石段を上がりました。
結構、急に石段でした。また、蒸し暑く汗をかきました。
石段ではなく、長門丸・城山郷土館経由の方が、急ではありません。
天守は、現存12天守のひとつです。三層三階建てです。入場料は、200円。お城スタンプは、
入場後の右側テーブルに置かれていました。
天守からの眺めは、最高、和宇島湾が一望出来ました。
河後森城を見学後、松野町の道の駅 虹の森公園によりました。
お昼の時間でもありましたので、ランチにしました。
道の駅からは、河後森城が遠望出来ました。
ここの道の駅では、四万十川の土産もあり、
もう少し高知県に行けば、四万十川の本流に
出会うことが出来ますが、今回は、次回に
見送りしました。
松山市で、レンタカーを借りて、城巡りは、続100名城の
河後森城跡へ向かいました。松山インターから約100キロ90分ほどです。
河後森城跡(かごもりじょうあと)は、平成9年9月11日に国の
史跡指定を受けた中世の山城です。
四万十川の支流広見川、その支流の堀切川・鰯川の三つの川に囲まれた
独立丘陵上にあって、最高所の本郭を中心として、山の稜線部には馬蹄形に
曲輪(くるわ:平地)が展開しています。
中央を南北にとおる風呂ヶ谷をとり囲むように、本郭から西は西第二から
西第十までの九つの曲輪が、東は東第二から東第四、古城から古城第四の七
つの曲輪が、さらにその南には新城の曲輪群が、階段状に連なっています。
駐車場から山を登って、10分ほどで、西第十曲輪馬屋に到着しました。
お城スタンプは、馬屋に設置されております。もちろん無人です。
その後、本丸の郭までは、さらに10分ほどでつきました。
蒸し暑い日で、汗だくになりました。
城巡りは、安田城跡に向かいました。
田んぼの中にある平城です。三つの郭からなる城です。
月曜日だったので、安田城跡資料館は、休館日で残念でした。
安田城跡歴史の広場TOP
安田城のあらまし
呉羽丘陵東南麓、井田川左岸の扇状地に立地する戦国時代の平城で、堀を含めた規模は東西約150m、南北約240mです。
本丸・二の丸・右郭みぎくるわの3つの郭からなり、井田川から水を引き入れた堀をめぐらせていました。また、本丸と二の丸では高さ約2.4mと推定される土塁どるいが確認されています。こうした城の構造は、江戸時代文化年間(1804年から1816年)に富山藩士安達淳直、直章によって描かれた「安田古城之図」と重なります。安田城跡のように保存状態がよく、全体像がわかる平城は多くありません。全国的にも貴重な事例として、昭和56年2月23日に国の史跡に指定されました。
安田城は天正13(1585)年、全国統一をめざす羽柴(豊臣)秀吉が越中の佐々成政を攻めた際、秀吉の本陣となった白鳥城の支城とされています。前田家の武将であった岡嶋一吉かずよしが城主となった後、代官の平野三郎佐衛門が居城しましたが、後に金沢に帰還し、廃城になったと伝えられています。
2025.9.29富山城跡に向かいましたが、富山城・郷土博物館は、10/3まで休館でした。
お城スタンプは、佐藤記念美術館で、押印することが出来ました。
これで、昨日の高岡・増山城に加えて、富山県のお城スタンプをゲットしました。
さて、富山城は、今回で三回目です。お城の天守・櫓は、外壁を修繕されたようで
きれいでした。