ありのままで去って逝ってしまった
西城秀樹さんに思う。。。
しばらく忙しくしていて、
テレビを家でゆっくり見る間もなく、、、
しかし目や耳には飛び込んでくる
車の中でのカーナビやSNSからの
ヒデキの訃報。。。
元気な頃の秀樹や、
病気になってからつい最近までの彼の様子がテレビに
流れる。流れる。流れる。
元気な秀樹はワイルドでスマートでカッコイイ!
(一応、御三家の中では秀樹派の私でした)
二度の脳梗塞を起こしてからの彼は
相当なダメージが身体にも心にもあったことは、
本人も周りも知るところ。
その中でも必死に筋トレやリハビリに励む姿が
最近では痛々しくて見るに耐えれなかった私。
ロレツもまわらない、
歩行もままならない中、
秀樹は、
もう一度振り付けをして歌を歌うことを目指して
決して諦めなかったそうです。
急性心不全で亡くなったと訃報が流れた時、
同じ事務所でもあり、
ファンでもあった岩崎宏美さんが、
『秀樹さんの体が悪くなった姿はあんまりビデオで
流さないでほしい。。。』とつぶやいていました。
それに私も同感する思いでした。
しかし、西城秀樹さんは人生、裏も表もなく
西城秀樹としてありのままで最後まで生き抜きました。
今日は宮崎は涙雨。
私は西城秀樹さんのこれまでの軌跡を思い出しながら
涙を流しつつ、ひとりで彼の冥福をお祈りしました。
そして、けじめのつもりで
ちょっと私なりにマヤ暦で彼の人生を紐解いてみました。
広島出身(実家はパチンコ屋さん)
1972年 キャッチフレーズ【ワイルドな17歳】
シングル『恋する季節』でデビユー
17歳 kin175(青い鷲/白い犬/音6)
白い時代の6年目。
1974年より白の時代の7年目。
『激しい恋』『傷だらけのローラ』
などの大ヒット。
この年に、日本レコード大賞“歌唱賞”を受賞している。
そして、
テレビドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演。
映画では、
『愛と誠』で早乙女愛さんと共に主演。
俳優としても大活躍!
新御三家の一人として昭和を代表する
トップアイドルの仲間入り。
なんと言っても西城秀樹さんは、
お初が三っつも。
○1975年
日本人のソロ歌手として史上初の“日本武道館”にて
リサイタル。(その後11年も続く)
○発スタジアム(球場)でのコンサート。
○コンサートでのペンライト。
1979年
『YOUNG MAN「YMCA」』
売り上げ80.8万という大ヒット!
このYMCAの4文字を全身で表現するパフォーマンスは
今でも皆が覚えていることでしょう。
この年は、秀樹にとっては
kin130(白い犬/白い鏡/音13)
白い時代の13年目。
卦なしの上、ギフトの年でもありました。
白い時代の半ばで家出同然で上京してデビュー。
そしてその白い時代の最後の年で大ヒット。
『ヒデキ、感激!!!』
だったことでしょう。
この言葉も流行りましたね。
1973〜1985年までCMキャラクターとして
バーモンドカレーのコマーシャルを歴代の中でも
11年以上という最も長く勤め上げた秀樹。
決めゼリフもたくさんあった中で、
このセリフが1番頭に残っています。
ちなみにウチは絶対にバーモンドカレーは
手放せません
我が家は、辛いのは食べれない人がいるので、
このバーモンドカレーの甘口に、
ジャワカレーの中辛を足して、あとは隠し味として
調味料を色々と入れます。
バーモンドだけでも食べた気がしない。
(秀樹さんはこのあと1年間、ジャワカレーのCMにも
出ていました。)
きっとカレー粉の中では1番人気の
バーモンドカレーは、
ヒデキの力も倍増させてたことでしょう。
先日『徹子の部屋』に出ていた時の西城秀樹さん。
追悼番組にて。
26歳というマヤ暦でいう絶対反対キンの年回り。
ターニングポイントの時代です。
この時にシングルレコードの総売上枚数が1,000万枚を
突破する快挙。
黒柳徹子さんは、
この秀樹さんの訃報を聞いて〜〜
ベストテンに出てくれた歌手の中でも
一番歌唱力があった人と讃えていました。
1983年
青い時代の四年目。
本格的な青の時代に入った時に、
当時の事務所を円満退社して独立。
秀樹の青い時代は、
とても側から見ると恵まれていて
ザ・ベストテンが始まるも当初より
シングルの22曲(154週)もランクインしました。
御三家の中では一番挫折なくヒット曲も
たくさん抱えての時代が青の時代でした。
きっと陰では心に葛藤があったことでしょう。
そして今でも盟友である
野口五郎さんが結婚したことで刺激となったか?
2001年、
46歳で一般女性と結婚。(17歳下)
黄色い時代の9年目。
そして年子で一姫二太郎の父となってすぐに
2003年、48歳で一度目の脳梗塞発症。
黄色い時代の11年目。(断捨離=浄化)
kin50の黒キン。
軽度の言語障害は残ってはいましたが、
闘病の末、見事に復帰。
ここで家族の力は大きかったことでしょう。
一番社会に出て活躍する時代、
赤の時代に入った一年目に、
2006年に3年ぶりのシングル
『めぐり逢い/Same old story〜男の生き様〜』
が発売されている。
それからもう一男生まれて三人の子宝に恵まれ、
ますます健康管理もしながら活動していた矢先、
2011年に脳梗塞の再発!!!
赤い時代の6年目。(kin 110の黒キン)
言語障害に加え、右半身麻痺となり、
リハビリに励みながらコンサート活動も
続けていたのですが、、、
力尽きて、
2018年4月13日に63歳の誕生日を迎えたばかりの
4月25日に家族で夕飯を食べている時に倒れ、
2018年5月16日に急性心不全で
そのまま意識戻らずして
あの世に旅立ちました。
赤い時代の13年目。最後のまとめの年。
大きな節目の時でした。
彼の限界がここで来たような気がします。
ヒデキの情熱が燃え尽きた時
だったのかもしれません。
























埋もれていました。
⭐️昭和に生まれた新御三家は、、、
昭和のアイドルの一番の象徴!
♦️郷ひろみさん。
kin138
白い鏡/青い猿/音8
背骨キン
🔹西城秀樹さん。
kin210
白い犬/赤い月/音2
黒キン
ナルシスト
(音2+ナルシストという特殊キン。)
とにかくパワーがあって、
常に新しく挑戦することで輝いて行く人。
正直すぎるぐらいで、
素直で、人にも自分にも忠実にであろうとした
優しくもあり厳しくもある人。
そして、
🔸野口五郎さん。
kin6
白い世界の橋渡し/赤い龍/音6
マイペース
この新御三家も、もう還暦過ぎて
今では63歳という同級生。
その一人である西城秀樹さんの早い旅立ちは、
とても辛くて辛くてたまらない。。。
郷ひろみさんが言ってました。
五郎が長男で、秀樹が次男、そして僕が末っ子。
(順番から行くと長男が秀樹、次男がひろみ、末っ子が五郎なんですがね。。。)
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でもここで、昔からある噂が?
西城秀樹さんは年齢詐称しているという。
この噂は昔、私の従兄弟が東京で、
西城秀樹の同い年の人から聞いたという確実なる
根拠もあり。
もしそうであれば
1955年4月13日→1953年4月13日
そうなると、、、
マヤ暦で見るkinナンバーは、
kin260
黄色い太陽/黄色い星/音13
角キン、黒キン
こうなるともっと凄い!!!
kinナンバーに良し悪しはないのですが、
いずれにしても世間に大きな影響を及ぼす人であって
間違えない使命に生まれた木本龍雄こと
西城秀樹さん。
のご冥福をお祈りするとともに、
ヒデキさんの今までの功績を讃え、
しばらくは思い出に浸りたいと思います。
葬儀の時の弔辞は、きっと盟友である
野口五郎さん。
この方の存在も
お互いに大きかったことでしょう。
その弔辞で何を述べるか?
分析力ある彼の真の言葉ですから。
不謹慎ではありますが、少し楽しみでもあります。
秀樹さん、
安らかに眠ってください。
そして家族をこれからも空から見守ってくださいね。
合掌🙏







