おはようございます!
マメータっす
押忍![]()
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今日は
1週間に一度の
外出Day🎊🎉
必ずすることは…
・お墓参り
・お食事素材生命のお買物
これだけで十分![]()
ということで、
冷蔵庫内は…
ガラ〜ン![]()
↑コレ
こうなるのってば
なんか
気持ち良くなってきた![]()
減ってく過程も
ちっとも全然不安じゃない![]()
むしろ楽しい
美しき毎週の
庫内断捨離
題して
「こんまリフレジレーター」
なんつって。
フルーツたちも
disappeared.
今日は冷蔵庫の
最後のメンバー様たちで、
お買い物直前なのに
大好きな御馳走に
囲まれる幸せブランチです!
(AKA"風前の灯ブランチ"
)
①大根おろし
②アボカド🥑の黒酢醤油和え丼に
きざみ海苔&たっぷりすりごま
&Nutritional Yeastのっけ
③千鳥酢漬けカレンツonチアシード
(レーズン系のドライベリーをヴィネガー漬けにしておくと
サラダのドレッシング用甘味にとっても便利!
生のレモン汁など
柑橘系につけておく方が
よりhealthy&Yummy!
)
④大根おろしのお味噌汁
(しっぽの激辛のトコ!
お味噌汁にすると美味
)
⑤平飼い卵焼き
パコラエスニック風味
⑥ブロッコリーのホクホクSteam
自家製酒粕マヨ&すりごまのっけ
(蒸したては香りが立って
本当にホクホク美味しい
)
ちゅ、中途半端な
お味噌汁
海苔のかけらの
あわれさよ…![]()
ということで!
美味しくお恵みを
いただきました!
OM Namah Shivaya
🙏🏻🙏🙏🏼🙏🏾🙏🏿
ではでは
修行修行に
レッツラゴー!![]()
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🙈🙊🙉🙈🙊🙉🙈🙊🙉
1-4 VRITTI SARUPYAM ITARATA.
その他のときは、
【自己は】
心のさまざまな作用に同化した形をとっている
【ように見える】。
あなたは本源的なアイデンティティーを失って、
自分自身を自分のいろいろな思いや
身体と同一視しているようである。
たとえば私があなたに、
「君自身を何ものとも同一視しないとしたら、
君は誰か?」
と尋ねたとしよう。
そこでもしあなたが、
「私は男です」
と答えるならば、
あなたは自分自身を
男性の身体と同一視している。
また、
「私は教授です」
と答えるならば、
あなたは自分自身を
自分の脳に蓄積してきた観念と
同一視している。
「私は資産家だ」
なら銀行の口座と、
「父です」
なら子供と、
「夫です」
なら妻と…。
「私は背が高い」
「私は背が低い」
「私は白人である」
「私は黒人である」
と言う答えは、
肉体の色や形との同一視を
表わしている。
しかし、
いかなる自己同一性をも
取り去ってしまったら、
自分は一体何者なのだろう
あなたはそんなふうに考えてみたことが
あるだろうか?
それは本当に理解したとき、
あなたはわれわれが
全く同じものだと知るだろう。
もし自分を
「これこれである」
とみなしている
すべての事柄から
引き離してしまったら、
あなたは自分自身を
純粋な私
として実感する。
そういう純粋な
私
にあっては、
”あなた”
と
”わたし”
の間には
何の差異もない…
それは人間についてだけでなく、
何についても言える。
あなたはあるもののことを犬と呼ぶ、
それが犬の身体を持っているがゆえに…。
その犬の中、
人間の中の精神[霊:スピリット]は
同じである。
それは無生物についても同じであり、
石や壁の中にも同じ精神がある。
ところで、
こんな風な
<精神>
あるいは
<自己>
ということばの使い方をすると、
あなたがたは
なんだか私の言うことが
信じられなくなってくるかもしれないが、
もしも物理学者が
「壁はエネルギー以外の何ものでもない」
と言うなら、
あなたがたはそれは信じるだろう。
そうだ、
科学者の言葉を用いるなら、
「至るところエネルギーあるのみ」
だ。
原子といえども
エネルギーの一形態である。
同一のエネルギーが
さまざまな形の現れを見せ、
それらにわれわれが
これまた様々な名称を
与えているのだ。
したがって、
名称や形態は、
同一エネルギーの
さまざまな翻訳であるにすぎない。
パタンジャリのような
ヨーガ科学者によれば…
それに最近では
多くの近代科学者もそう言っているが…、
エネルギーの様々な形態の背後に、
一つの不変の意識
つまり
<精神>[霊]、
あるいは
<自己>[そのもの自体]
が在る。
そのような理由から、
心を静めて
これらのすべての作用
(はたらき、諸状態)の根源に
たどり着くことができたなら、
われわれはあらゆるものの中に
<一なるもの>
を見出すのだ。
そして、
それが真のヨーガ的な声である。
だがそれは、
われわれが
変化に対して無関心な、
世界にとっての無用者になる
という意味ではない。
そうではなく、
この普遍的な
全一性の体験によって、
われわれは
より良く機能するようになる。
そして、
幸福で調和的な生を送るようになる。
その時こそわれわれは
われわれの隣人を自分
<自身>
のごとくに愛することが
できるのだ。
でなければどうして
それが可能だろう?
もし私が私自身を
この身体と同一視するならば、
他人をもやはり
身体とみなすだろう。
であればもはや
その二つの身体は
一つであろうはずがなく、
それらはいつだって別々の、
異なったものだ。
またもし私が私を
自分の心と同一視するならば、
誰も私とそっくり同じ心を持つことが
できない。
同じ身体や心を持つ人間は
一人としていないのだ、
たとえ双生児であろうとも。
小指の先、
二分の一インチ四方に至るまで、
われわれは違う。
指紋の専門家に聞いてみるといい。
彼らは、
同じ指紋は二つとないと言うだろう。
だがこれら全ての差異の背後、
<自己>
にあっては、
われわれには差異は無い。
それは、
これらすべての変化に、
けっしてやまない現象の背後に、
けっして変わらぬ
<もの>
がある、
ということだ。
そのものが、
われわれの心の作用
(ヴリッティ)のゆえに
変化するように見える。
つまりそのように
自分の心が変わることによって、
自分が
何もかも変化させているのだ。
この点が理解できさえすれば、
外界には悪いところは
何もないということがわかる。
それらはすべて
心の中にあるのだ。
見解を正すことによって
われわれは外界の事物を正す。
つまりわれわれの
黄疸の=(ひねくれた)
眼を治せば
何も黄色く見えはしない、
だが黄疸を治さずに
外にあるものをいくらこすってみても、
それらはちっとも
白や青や緑色にはならない、
いつまでたっても黄色のまま、
と言うことだ。
ヨーガが、
自己改革、
自己制御(セルフ・コントロール)、
自己調整に基礎を置くのは
そのためである。
この更生(リフォーム)が
完了すると、
われわれには
新しい世界が見えてくる、
調和的な幸福の世界が…。
われわれは、
常にこういった
こうした誤った自己同一視から
自分自身を
自由にしておかなければ
ならない
🙈🙊🙉🙈🙊🙉🙈🙊🙉
ホントにその通りだね
GOODVIBESONLY![]()
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マミータ

