北尾石材

北尾石材

大正10年創業、京都の石材屋です

 

 

平安時代、京の都で疫病が流行したとき、人々は疫病の恐怖を前ににして水を浴びたり、何度も何度も水をかぶったりして疫病から我が身を守りました。 「水に流す」という言葉はそこから生まれたという説があります。

 

当時、ウィルスの存在を知る手立てはなかったでしょうが、外から侵入してくる邪悪な何ものかを防がなければならない、と必死だった人々の切実な思いが伝わってきます。 恐ろしい病を振り払いたい一心で水を浴び、身を清める。 それによって疫病を水に流すことができると考えたのです。

 

下鴨神社では毎年、夏の土用の丑の日に「御手洗祭」が行われます。 夏の土用は七月の下旬、京都では梅雨明け後の太陽が何日も照りつける猛暑のさなかです。 境内を流れる御手洗川の源である御手洗池にひざまで足を浸して身を清め、無病息災を願うのです。 「足つけ神事」ともいわれるこの行事、夏の流行り病を「水に流す」行為そのものとして、現在も京都の人々に根付いています。

 

日本人には古来より「禊ぎ」という習慣があります。 祀りごとを行なう前に、海や川の水で身を清めます。 これが「禊ぎ」の儀式です。 例えば一年の初めの元旦。 私たちは年迎えのために大掃除をし、旧年中の挨拶をすませ、身の回りを綺麗にして新しい年を迎えようとします。 こうすることによって、旧年中を洗いざらい水に流し、真新しい厳かな気持ちを獲得したいと願います。 まさに「禊ぎ」をすませたつもりで、神聖なる元日を迎えたいのです。 これは日本人独特の考え方で、国際社会には通用しないのだそうです。

 

しかし最近は「水に流す」という言葉が、あまりいい意味で使われなくなっています。 「都合の悪いことはなんでも水に流す」とか、「過去を水に流すのは日本人の悪い癖だ」とか、、、。

「水に流す」という言葉は、本来は豊かな水と美しい自然に培われた日本人独特の自然観や清浄感に基づいていたのではないでしょうか? 私たちは平安の昔、疫病を「水に流す」ことにより身を守られ、いつしかそれを人と人とをつなぐ知恵として、また自然に寄り添って生きる美学として身につけてきたはずだったのに、はたと気付くと「水に流す」がただリセットボタンを押すという意味に成り下がって批判の矢面に立たされています。

 

医学がどんなに進歩しても猛威をふるう疫病の前では、私たち一人ひとりが身を守るしかないのです。 そもそもの「水に流す」という言葉は、いつまでも古びはしません。

 

ちなみに「穢れを水に流す」御手洗池に湧き出る水のあぶくを人の形にかたどったのが「みたらし団子」のルーツです。 その昔、御手洗祭の日に下鴨神社境内「糺の森」で売られたのが「みたらし団子」の発祥です。

 

ご参考までに・・・。

 

 

── 山太 北尾石材  ──────────

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定休日 不定休
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引用元:「水に流す」という言葉は京都産?