ちょいと前後しますが、、、



そういえば小学校5~6年の頃、長渕剛が好きだった。笑



福岡で1番仲のよかった真司が、
長渕のカセットテープを全部持っていて、
借りてダビングして聞いていた。


よくよく思い出すと、
兄がマイケルジャクソンのカセットテープを持ってきた
直後だったかもしれない。




つまり、僕の音楽遍歴は、



マイケルジャクソン

長渕




ということになる。。笑





真司とは、小学校1・2年と5年で僕が転向するまでの間、
同じクラスだった。


書き遅れたが、、彼が僕の人生、最初の親友である。


真司は芯が強く、喧嘩っ早い、クラスのリーダー的な奴だった。

1度大喧嘩をしたことがある。

いつから仲良くなりだしたのかわからないが、
「長渕剛みたいな男が、かっこいいと思っている」

という共通点が、一役かっていたようだ。


仲のよい友達は何人かいたが、真司は特別だった。



当時、「家族ゲーム」「親子ゲーム」とかいうドラマがやっていて、
主演・主題歌が長渕剛だった。

ドラマの中の役柄や、歌番組での雰囲気等、
なんかかっこよかった。
芯が強く、喧嘩っ早く、でも繊細で、たまにひょうきん、だいぶいいかげん。
社交辞令の無い、媚びない感じがかっこよかったんだと思う。


というわけで、曲も好きになった。

歌詞が結構露骨、大胆で卑猥な表現が多々あったが、
その辺は、あまり何も考えず聞いていたようだ。



「ろくなもんじゃねえ」という曲があった。



サビが、


心を裏切られちまった
心を笑われちまった
悔しくて悲しくて こらえた夜
大嫌いだぜ 大嫌いだぜ
ろくなもんじゃねえ





今時こんな詩の曲は無い。


もちろん時代、フォーク世代というのもあるが、

アーティストがこんな詩を持ってきたら、
今時のレコード会社は門前払いだろう。
「そんな後ろ向きじゃなくて、もっと前向きな歌じゃないと」
などと言われそうだ。







やさしさとは何か。歌とは何か。

80年代のこのラジオでの長渕の発言は、
現代からすると、かなり極端な考え方(当時も?)かもしれないが、
なまじ音楽にかかわっている僕にはとても共感できる、興味深い内容だ。


自分が生きる上での様々な不自由さ、挫折やつらい事があった時に、

大丈夫だよ~、がんばって~、

という歌を聞くよりも、
↑のような、

やってらんねーぜ、ばかやろー!

みたいな歌を聞いたほうが、
個人的には、ちょっとスッとして、
逆に前向きになれるのが早くなる気がする。



そして、名指しで人を批判する。
これだけ聞くと、誰がどう聞いても良い事とはとれないだろう。


他の某アーティストの歌の表現方法を長渕が納得できない、と言った事に、
視聴者から、「批判はよくない」との講義のお手紙。

アーティストに当然、自分の表現、主張、こだわりがあるならば、
他の表現者の主張を、
「俺はそうは思わない」「納得がいかない」ということは
あってしかるべきだと思う。自分の意見を強く持っていればいるほど。

もちろん、それを言わなくたっていい。
それを電波ではっきり言ってしまうと、今だったらとんでもないことになる。


「人の悪口を言っている」ととれば、聞こえはよくないが、
電波で公に言っているのだから、陰口ではない。
音楽の表現、というものを真剣に考え、
自分の中にある考えをはっきりと言い、
それについて皆、意見を聞かせてくれ、と議論する。
そして自分への批判も正面から受け止める。

この姿はアーティストとして極めて等身大に感じる。
文句を言っている自分も「アーティスト長渕剛」の一部だと。



そういう事をせずに(納得できないことを口にせずに)、
さらっと「仲良くしているふう」なのは、
本当の平和なのだろうか?
と、自分も思うことがある。




今の世の中、
物をはっきり言い過ぎると、たたかれるから言わない。
KYと言われないように、周りの空気に同化できる事がよしとされる。
とんがった主張をして、批判されるよりは、
ありきたりでもいいから安全なところにいたい。
物申したくなったら、匿名で2ch等の書き込みサイト。
発言に責任持たずに、自分に危害無く吐き出すことができる。



優先すべきは、自分の意思よりも、身の安全。
皆、傷つかないために生きているようだ。
と思うことがある。




音楽も、どんどんそうなっていっている気がする。

コラボブーム等のやたらと横のつながりを大事にする今の音楽シーンが
とても気に入らない僕としては、
長渕のように、とんがっているアーティストに出てきて欲しい、と思う。


実際、今、周りで僕がリスペクトするアーティスト達は、
性格的にも、めんどくさいくらい、とんがっている輩が多い。


もちろん、Peacefulで、温和で、素晴らしい方も周りにたくさんいるが、
僕がどちらかというと、先のような、なんというか
「渇いた連中」
に惹かれるは、、

自分が渇いているからだろうか。




長くなりましたが、、


つまりが何が言いたいかというと、、






昔も今も、






長渕好きだ!!




ってことです。