このたび、このブログ「GOOD MUSIC」を終了することにしました。



「今自分が考えていること、感じていることを言葉で表現する」という練習のために始たこのブログ。
スタートから一年半が経過し、その力は着実に付いたと思います。
あーだこーだ考えていても、いざPCの前に座ってみるとなかなか言葉が浮かばないものです。
しかしそのまま思考の格闘を続けると、始めて自分の考えが鮮明になってくるのです。
「あー、自分が感じていたことってこういうことだったのかぁ」というブレイクスルゥが多々ありました。
このブログを通じて文章を書く楽しさをはじめて味わいました。



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私はいつも全力を求めながら、己の全てを使い切りたいと思いながら、しかしだらだらと生きています。
周りからは結構アクティブに見られがちですが、自分では60%ぐらいで動いているように思えます。
でも自分で言うのもなんですが、私は器用なところがあるから、

ある程度のことは普通に、時には人並み以上にできてしまいます。
だからアクティブに見えるのかもしれません。


それは何かを表現する点(さらには仕事面)においてもそうなのかもしれません。
でももう少し上を目指してみたいといつも思っています。
そう思いながら、自分の100%を目指しながら、まだまだ自分はこんなものではないと思いながら、
だらだらと進む現時点のこの甘ちゃん人生こそが、実は自分の100%の人生なのかもしれません。
しかしそれに立ち向かいたい。
それに立ち向かおうと考えると、
ブログのような未完成な表現はそろそろ卒業してもっと完成された表現を追及しなければ、
日々感じることはブログではなく自分のPCに書き留めればよい、期限も体裁も気にせずに、
などなど、そういう風に思えてきました。
少なくとも今以上に仕事や趣味に本気で取り組まなければ、と。



もっとオリジナルな発見を求めて、しかもそれを客観的に表現したい。もっと本気で仕事に取り組みたい。



今後の自分にそれができるかわからないですが、もがくところまでもがいてみようと思います。
自分が本当に変われるか分からないですが(多分無理なんじゃないかなぁ)、

とりあえずブログはここでおしまいです。
こんな己の道を突き通しすぎたブログに付き合ってくれた皆さん、どうもありがとうございました。
たまに寄せられるコメントはとても嬉しかったです、ありがとう。



「始まりは、今」と信じて。

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美術館に小松崎茂の展覧会を見に行った。


当時私たち「男子」が必ず見たことのあるプラモのパッケージや子供向け雑誌

(小学○年生とか学習とか)の近未来SFチックな機械や、宇宙人や怪人などの絵の多くを手がけていた人だ。
(ネットで写真を検索して上のイルカの写真を見つけたときは本当に驚いた。
小学校の頃この絵を見て強烈な印象を持ったことを今でも覚えていたからだ。
これも小松崎さんの作品だったのかぁ。)


子供の頃、このような近未来的な絵を見てあーだこーだ想像力を欠き立たせていた。
例えば右下の絵で言うと、道路の続きを考えたり、ビルの中の様子を考えたり、
私はそういった絵から見えない部分を考えるのが特に好きだった。
ただ、当時はその絵を描いている人のことなんて全然気にしていなかったので
今日の展覧会はとても楽しかった。久々に同心に帰った気がする。



しかし、今日の一番の発見は残念ながら同心に帰れたことではなかった。
小松崎さんのとある絵で瞬時に現実に引き戻されたのだ。
それは戦後の(1965年ごろだったかな?)少年誌の表紙だった。
当時、子供達の間では戦争兵器ブームだったそうで、軍艦や戦闘機や戦車のプラモがヒットしていた。
表紙にはそのブームに乗っかって潜水艦「伊52号」の絵が描かれていた。
この潜水艦は漫画「ジパング」たびたび登場するので私もたまたま知っていた。
しかし、表紙にはこの潜水艦と同時に「人間魚雷 回天」も描かれていたのだ。


回天とは、言わば「特攻隊の魚雷バージョン」。
魚雷に人間が乗り込み敵艦まで操縦するという「設計の中に人間が組み込まれた」兵器だ。
私は今までこれが特攻隊同様悪しき戦争の象徴だと思っていた。
なのにこの回天が堂々と戦後の少年誌に掲載されている。
これはどういうことだ?
回天を見て子供たちは胸を躍らせていたのだろうか?
当時の少年達、ひいては世間の考えは「当時の日本は間違っていた」ではなかったのか?


私の好きな「60~80年の日本の生活」に、こういった形で戦争が入ってきたのは驚きだ。
ちょっと調べてみようと思う。


最近は戦争について自分なりに考え始めていた。

そういった意味でも今日の展示会はとてもいいものだった。




会社の夏祭りでバンド演奏を行った。
人前に立って演奏するのは2年ぶりのこと。
今回はミスチルのカバー曲を演奏した。


私たち演奏者は音楽かぶれなのでちょっとした音質やリズムにこだわってしまうけれど、
そういうことは後の反省にとっておいて、結果だけみるととても楽しいライブだった。
何よりも周りの反応が思った以上に良かった点が本当にうれしかった。


ここ数年はオリジナルばかり作ることに専念しすぎていたので、単純に演奏する楽しさを忘れていた気がする。
次のライブはいつになるか分からないけど、ギターは趣味として続けていければいいかなぁ。


見に来てくれたみんな、どうもありがとう!




今日は特に予定もなかったので読書にふけった。
朝から一日かけて沢木耕太郎の「無名」を読破した。
間違いなく今年読んだ本の中でベスト5に入るとても良い本だった。

そして衝撃的な本だった。


-病床の父を見守りながら、息子は無数の記憶を掘り起こし、その無名の人生の軌跡を辿る-


ノンフィクション作家の著者が亡くなった父を描いたノンフィクション作品。
読み始めるとその残酷な内容に何度も読むことをやめようと思った。
自分の父が入院してから死ぬまでの経過を淡々と書き綴っていたからだ。
これほど残酷なノンフィクションは無いと思った。


しかし、それでも読み進めるうちにこの本のテーマ(と勝手に理解しているもの)を見つけた。
おそらく、著者はすでに父の死を乗り越えている。
この本では、父が老後に行っていた俳句にスポットを当てて、ノンフィクションで父が描かれている。
しかし、邪推ではあるがテーマは別にあると思う。
おそらく著者は父を描くことで、父について整理することで、
「自分にとっての父とは?」という自己確認を行っている。
父の死を見つめなおすことで、自身の父に対する想いを見つめなおす。
この本の本質はそこなのではと考えた。
こう考えるとこの本が一層理解できた気がした。


そしてこの「自分にとっての父とは?」という視点がとても衝撃的だった。


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多分、これを読んだ誰もが自身の父のことを思うに違いない。
私もこれを読みながら私の父のことを考えた。
私も著者同様、私の父のことを何も知らない。
そして私にとって父がどういう存在なのかを知らない。


私は父のおかげでどうなったのだろう?
今の私を形成するものを考えたとき、父の存在はどれほどの寄与を与えているのだろう?


私の父が健在のうちに考えなければならないことのような気がした。
私にとって父とは何なのか、を。

友人達と海へ行った。
サーファー以外はほとんどいないというくらいの大荒れだったが、
3時間くらい無駄に波に揺られ友人達と自然と遊んだ。
そしてBBQや花火などをして、久々に若さを堪能した。俺はまだまだ若いぞ!


今思えば、学生時代はあまりアウトドア的な遊びをしなかった。
どちらかというと音楽製作や読書→考察といった屋内作業を悶々とこなしていた。
そして友人達とは学問やビジネスや世間をにぎわす問題の背景などについて、
あーでもないこーでもないとよく議論していたように思える。


何も考えずにただただひたすらに『楽しい』と、
そういった時間を皆で共有することは極めて少なかったように思える。


しかし、そういったことにあまり時間を費やさなかったことへの後悔はさほどない。
案外楽観的なので、今から味わえばいいか、と単純に思えるからだ。
いやそれ以上に、
学生時代のおかげで良くも悪くも頭でっかちな脳が鍛えられたと考えているからかもしれない。


ひたすらに『楽しい』時間はこうも早く過ぎるのか。
この気持ち自体を新鮮に感じてしまう自分が少し恥ずかしくもあった。
みんなありがとう!!また行こうね。



今朝、砂まみれになった車を洗うために車庫に向かう途中、ツクツクボウシの鳴き声を今夏初めて聞いた。
暑さはまだまだ残るが夏の終わりはいよいよらしい。

さっき気づいたんだけど「さ」と「ち」って鏡合わせ(こういうのって何て言うんだっけ?線対称?)だよね。


さ|ち


子供のころに俺はこの事実に気づいたかなぁ?一回は考えたことがありそうな。。。
でもバイオリニストの高嶋ちさ子さんは誰よりもこれに気づいてただろうね。


今日はお祭りでみんなで踊ってきました。1キロはやせたかな?
みんなお疲れ様です。俺は遠く八幡の高台から花火を見たよ。
今日みんなで道路を占拠して踊った小倉の通りも明日の朝には通勤の車が行きかう普通の光景に戻るよね。

まさに祭りのあとって感じでちょっとさびしいけれど、明日お仕事もがんばりましょう!そして9連休へ。


例えば電車通学を経験した人は自宅から駅までの道のりを、駅から学校までの道のりを千回以上往復している。
しかし、その見慣れた道から枝分かれしている小さな道を歩いたことは一度もなかったりする。
当たり前に通り過ぎる景色の隙間に見え隠れする景色の新たな一面、
そんな景色を最近の休日はよく探している(さびしいとか思わないでね。。。)。
これを自分の中のテーマ「入れ物としての街」の切り口の一つにしたいと思っている。


今日は仕事後に前々から目星をつけていた景色に会いに行こうと思っていたけれど、
だーそのから電話がかかってきたので彼も一緒に誘ってみた。
今日向かったのは自宅から車で10分もかからない急斜面の山を切り裂いて作られた場所。


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写真を見ると分かるように相当な急斜面に家々が建てられている。
こういった超急斜面の土地は「急傾斜地崩壊危険地区」と定められて、

地すべりに起因する水や土の扱いが法律で規制されている。
こんなルールが自宅からほんの少ししか離れていなかった場所に課せられていたことを

今まで知らなかったので、この生まれて初めての経験にとても新鮮な気分になれた。
「ここに住む人達はどういう気持ちで住んでいるんだろう?」
「ルールなんてあってないようなものだからあんまり気にしてないのかな?」
「毎日毎日通勤が大変だろうなぁ。」
「大変な代わりにとても素敵な景色を独り占めだなぁ」

「ジブリの耳をすませばみたいだな」
なんてことを考えながら、この場所を後にした(だー、お疲れ)。



自宅から10分も車を飛ばせばもうそこは別世界。
最近はよくこんなことを思う。今回は特にそれを感じてしまった。
考えを整理・考察して次に活かしたい。


今日の風はとても生ぬるく、気持ち悪かったです。


さてさて、金曜日は夏祭りの準備なんかであたふたしてたけどその日は「HIGHER GROUND 2006 前夜祭」の日だったんだよね。この日に夏祭りが無かったら絶対に有休とって行ってたのになぁ。
どうやら真心は王道の曲で会場を大いに沸かせたらしいし、
まだライブでは聴いたことの無い「空にまいあがれ」を演奏したらしいし...かなりくやしい。


去年のHIGHER GROUNDは大学院の同期達と行ったんだよなぁ。あれからもう一年かぁ。
突然ミスチルが参加を表明してチケットが品薄状態になったけど、TERRYのおかげで入手できたんだよね。
それでミスチル同盟みたいなのができて、クリスマスコンサートもみんなでいったよね。
それはまだ半年くらい前の話か...社会人になるとその辺がちょっと遠くに感じられます。


真夏の野外コンサートは究極のダイエットになるよね。
「あら?なんだか体が...」というのを体重計からではなく、
身体自身が実感してしまうくらいいろんなものを消耗します。


収拾がつかなくなったので終わります。

今朝の風はとても涼しかった。
おかげで家から駅までバイクで風を切ることの楽しさを思い出した。
おかげでとても快適な一日を迎えることが出来た。


今夜の小倉駅は潮の匂いがした。
おかげでいつもと違う駅の雰囲気を味わうことが出来た。
おかげで残業の疲れも少しどこかへ吹き飛んだ。


さて明日の風は...

佐野元春のバックバンドで活動しているDr.KyOnが昔所属していたボ・ガンボス。
私の愛してやまない忌野清志郎+ラテン系のような曲調がとても心地よく、
高校の頃よくテープで聞いていた。そんなボ・ガンボスがレンタルCD屋においてあったからびっくりした。
さっそく借りて久々に聞いてみるとやっぱりファンキーで民族っぽくてかっこよかった。


夏祭りの後、第2工場の同期たちと久々に飲んだ(やっぱり同期はいいね、気兼ねなく飲めます)。
その後だーその宅で相変わらずの一分熟睡をしてしまった(いつもすまんね)。
朝起きると彼が聞いていた音楽(多分m-flo)から野宮真貴の声が聞こえた。
懐かしいピチカートファイブのことを思い出した(朝聞くととってもいいね)。


今日は同期たち10人で海へ行った(すっかり季節は夏です)。
ボ・ガンボスのCDを車で聞いていると同期の一人が気に入ってくれた(マジで嬉しい!)。
音楽の趣味が合ったのでなので車内では彼と音楽の話を結構した(今まであんまり話してなかったよね)。
大学時代に声楽サークルに所属していた彼の大好きなバンドはバービーボーイズらしい。
さらに帰宅途中には同期の女性がハスキング・ビーファンだったことが判明した。


とまぁマニアックなバンドが羅列してしまったけれど、
とにかく懐かしい音楽を思い出す機会の多い一週間でした。
なので私的にはかなり素敵な一週間でした。