Aさん

『Bさん、ホントに・・・もう、わかれたいのですか??』

『今一度、自分の心の声を聞いてみてください。』

Bさん

「はい、もうわかれたいです!」

Aさん

『じゃあ、そこまで意志が固ければ、もうわかれましょうか』

 

Cさん

(。´・ω・)ん?

「どういうことなの??」

「そんなにカンタンにわかれましょうと言っていいの??」

「どういう意味で言ってるの?!」

 

Aさん

『Cさん、私は何も「人と人」のことを言っていたのではありませんよ』

『そもそも漢字(感じ)が違います。私がBさんに聞いているのは

          「別」れる、ではなく、「分」かれる です』

『まずは、そこを分別してくださいね(ゴミか!(;^ω^))

               あ、それは別にどうでもいい話か』

『まあ、自分の気持ちが分かる、これからの志や選択で人生が分かれる

                      そういうことです』

『Cさん、お分かりいただけましたでしょうか?』

  

 

「自分 じぶん」とは、その漢字の通り、

 自ずと分かる、自ずと分かれる、です。

 

 気持ち的には「分かる」

つまり、「分かりたい」のですねー 

 理解や気付きでいえば、

その意味するところを「分かりたい」

 自分の人生においては、

 理由や原因(過去)、これからどうする?(未来)を

 「分かりたい」

それらを知っていれば、ゆるぎない「安心感」が得られるからです。

それが得たいがための「分かる、分かりたい」

 

人が一番怖れていることは、

「自分自身のことが、分からない」こと

「自分で自分自身のことが、分かれない、分けられない」こと

これに尽きます。

 

あともうひとつ、「分かる」の「か」を「け」に変えると・・・

「分ける」となります。

「分ける」には、一つのものを2つ以上にする意味と

「与える」ような意味合いもあります。

 

「分ける」ということでは

やはり、『愛』という壮大なテーマが浮かび上がってきます。

・『愛』とは何か?を「分かる」

・『愛』を自ら「分ける」

 

自分から愛を出す(見返りなく、分け与える)

これからの時代、この愛の出し惜しみをしないことが

人生の「わかれみち(分かれ道)」となっていくことでしょう。

 

自ら愛を分けて送る

あくまでも、自分自身が先ず!先に愛を分けること

愛を分け与えるには、

先ず!自分が自分自身に愛を与えること

そうでないと、ほかの人に愛を分けることが出来ません。

自分自身を愛することで満たされる愛のエネルギーがないと

心のエンジンは動きだせません。

好きなこと、やりたいことをやる!!

からでもいいので自分自身を愛で満たしましょう!

『自分のために』からでいいんです。

 

先ず!ここまでのお話、お分かりいただけましたでしょうか?

やや理解されていれば、「分からないわけでもない」

クリアでなければ、「分かりにくい」

ぜんぜん理解不能なら、「訳が分からない」(;^_^A

 

ところで、いま、何時何「分」でしょうか?(;'∀')

 

「分かる、分ける、分かれる」の「分」

分が付く漢字、合わせる漢字で大きく意味が変わってきます。

どう分けたら、どう使い分けたら、分かりますでしょうか?

パズルっぽいコトバ遊びですが、皆様で下記のコトバをみて、

自分自身の人生や信念とリンク、イメージしてみてください。

 

分割、分裂、分担、分身、分子、分離、

分別、分散、分析、分野、分与、分断、  

余分、自分、十分、充分、余分、言い分、取り分、気分、

子分、当分、なにぶん(何分)、配分、身分、分け分、

 

塩分と糖分は・・・

ご自身の健康に合わせてください・・(;^ω^)

食べ過ぎな人は腹八分目ぐらいがいい?

 

さて、追分(おいわけ) というコトバ、

あまり、意味を知らなくないですか?

どうも民謡が出てきてしまいますが(苦笑)

実は、追分とは「道がふたつにわかれる場所」

まさしく、今回のテーマそのもの!!

「わかれみち、人生の分岐点」人生は選択ですから。

 

 

あと、大事なことなので「別れる」話も最後に。

「別れ」も様々な原因や理由があるのであって、

基本、当事者以外は関わらないことが大事。

人と人との事情、不協和音、それぞれの旅立ち、

ひとつひとつの思い、想いがある。

「別れ」は必要、必然的なものもあるのです。

「別れ」を勘違いしない、悪く捉えないこと。

「別れる」ぞれぞれが元々、

ひとつであり、尊重すべき存在や出来事。

合って別れる、の繰り返しを続けているだけです。

これを包み込む愛の意識こそが求められていることであり、

別々に分離したものをまた統合、一体化させるのです。

だから「別れても大丈夫」安心してください。

 

上と下を創らない、優劣を創らない

 

上を創るから自ずと下が創られて愛が分離する。

逆もしかりで、下を創れば自ずと上が出来上がる。

優を創るから自ずと劣が創れて愛が分離する。

逆もしかりで、劣を創れば自ずと優が出来上がる。

 

トリッキーなのは、「正義感」の意識です。

潜在意識に「優越感、勝ち」がある「正義感」だと

すでに意識で上と下を創っているので、

たとえ顕在意識が「善、正しい」であっても、

無意識に「劣悪、誤り」な存在を生んでいるわけです。

 

まだ、この二極の世界、三次元では必ず、表と裏、光と闇

があります。そこのどちらかを「分ける」必要はありませんが、

自分自身がこの次元で自分自身をまず、「分ける」「分かる」

自分のなかで二極があることを「分けて」理解する「分かる」

そうでないと、闇がなければ光が「分からない」からです。

「分けて分かって」はじめて、統合、一体化、ワンネスとなります。

でも、分けるのはパラレルラインであって、上と下、優と劣といった

支配と従属の意識では分けないことに注視してください。

 

どちらがいい?ではなくて、ノージャッジで

「どちらも、ある」が大前提です。

先ずは、すべての存在を否定せずに認めてください。

そこから、どれか、どちらかを選んでください。

逆説的ですが、まだ、「選んで統合する」世界です。

 

だからこそ、自分自身を自ずと分けて俯瞰して

自分の心やマインド、思考感情をきちんと分けましょう!

もう不要なものは感謝して別れを告げましょう!

 

もう「自ら分かれます」宣言しましょう!!

そこではじめて「自ら分かります」

 

今回のテーマも少しでも

「お分かり」いただけたら幸いです。

そして、

皆様と愛を「分かり合える」ことを祈りつつ

筆を終えますね。

 

 

~THE END~  ※過去の記事も読んでみてねー

 

 

★進行形自由人★マヌーより