皆様こんばんは。

 

龍岡弥生です。

 

 

 

7月15日のプレヒーリング、21日の満月ヒーリング、23日のフォローアップヒーリングにご参加くださいまして、まことにありがとうございました。

 

とても濃密なヒーリングとなりましたので、お時間をいただいて、あらためて後日談として、「私の感想」のご報告をさせていただくことにしました。


本日2回目の後日談となります。

 

1回目の後日談は、以下をお読みください。

「第3回」遠隔ヒーリングの後日談〜その1〜

 

 

 

「私の感想」

 

満月のヒーリングをおこなうと決めた後、半眠半覚の状態で小網神社の夢を見て、いろいろ調べるうちに、小網神社の元のお姿は菴(質素な僧侶の住まい)であったこと、その菴を開基されたのが天台宗の僧で浄土宗の祖の源信(恵心僧都、横川僧都として高名な僧侶)だと知って、さらにその母が清原氏(天武天皇の子孫)だと知り、とても驚きました。

 

詳細は、以下のブログをご覧になってください。

 

7月21日「第3回」遠隔ヒーリングのご報告

 

 

それにしても、恵心僧都のお母さんの和歌は、凄いと思いました。

 

 

「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 

 

世渡る僧となるぞ悲しき

 

 まことの求道者となり給へ」

 

 

息子への想いの深さとともに、世の中が良くなるようにと切に願う心の深さが感じられて、平安時代にはこんな凄い人が存在していたのだと、ひたすら感動していました。

 


 

さて、半眠半覚醒の状態でリアル夢に見た私自身の過去に起きたできごとについてお話しします。

本田美奈子さんのお墓まいりに行った時のことは、前回のブログでシェアさせていただきました。

 

次の日の朝に見た夢は、30年以上も前に亡くなった叔父のお葬式の後、伯父が田舎に叔父の遺骨を持って帰ろうとしている場面でした。

 

叔父は田舎にいられなくなるような事情があって、姉である母を頼って田舎から出てきていました。

伯父にはたくさん迷惑をかけたそうで、母と伯父は、最期まで迷惑かけっぱなしだったというような話をしていました。

(叔父は農薬を飲んで亡くなったのですが、農薬が全身を巡って臓器を壊すまでには時間がかかったので、その間、どうしようかと困っていたようです。もう一度生きる決心をした時に腎不全になり、そのまま帰らぬ人となりました)

 

もしかしたら、今の時代に生まれた人だったなら、叔父は違う生き方ができたかもしれません。

中学生だった私は、叔父が本を読むのが好きな人であることを知って、「この本面白いよ」と、自分が読んでいたSFの本を叔父に貸したことがありました。叔父は、面白かったとか、こないだのほうがよかったなどの感想も言ってくれましたし、私が高校生になった時には、毎日車に乗せてくれました。私はバスと電車で通学するのがすごく辛くて、自動車通勤している叔父に駅まで乗せてもらっていました。

今思えば、私にとって叔父は恩人であり、とても大切な人だったと思うのです。だから、叔父がどんな人で、どんな亡くなり方をした人であったとしても、「ありがとう」と感謝しかないのです。叔父がいなければ、私は無事に高校を卒業することができなかったかもしれません。

 

 

私は、叔父にとても感謝していることを思い出しました。

 

そして、こう考えました。

 

たとえたったひとりでも、感謝してくれる人がいるのは嬉しいなあ・・と。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

明日も良い1日をお過ごしください。

 

 

心から感謝を込めて