今月で一番と思える好天の日、車で40分ほどの秋田市の北部にある秋田城趾に行ってみた。
城趾は、今でいう市役所と警察署を併せたような役目をし、そこからは貴重なものが発掘され、そして復元し公園になっております。
「貴重なもの」のひとつに水洗トイレがあります(ここでの古代とは、奈良時代から平安時代のことです)。

 

画像を中心に古代の生活に少し触れてみましょう。

 

青空が珍しい模様を描いていました。

 

 

7、8㍍の木道を歩きます。

 

 

と、小高い丘に小屋が。

 

 

何と、その建物が「古代水洗廁舎跡(こだいすいせんかわやあと)」です。廁、とは「川」に汚物を流していたので、そのことから言われています。辺りにも「川」があったのでしょう。

 

 

角度を変えて。

 

 

グッと近づきます。こうしてみると現代でも見かけるトイレですね。

 

 

 

中を見ますと、こんな感じ。
便所の中には大きく深い穴が掘ってあって、頑丈な板がこのようにあります。
だいたい使い方は、想像できると思います。用を足したあとは、甕(かめ)の水を柄杓で流していたようで、当然水道がありませんから、人力水洗といえます。
自分で流したのか、城趾の係の方かそれはさだかではありません。
(安全のため実際に穴はありません。案内板の説明より)
どうして、水洗トイレかと言いますと、城趾には大陸からの要人も来ていた様子で、その方達が主に使っていたようです。

 

 

こうして流した後は、木樋(もくひ)を伝って小屋の下にある沈殿槽に流れます。
沈殿槽は分厚い杉板で、蓋の付いた大きな桶を使っていました。

 

 

反対側からも。

 

 

こちらは、秋田城趾外郭東門。

 

 

 

 

 

現代では、城の輪郭はありませんが、水洗トイレと井戸があったことが遺跡から分かり、インフラが十分に整備されていたということです。
でも、古代からちょっと前の現代でもトイレは家から離れてましたね。
古代では家の回りでの仕事が大半なので、家の中に入るより、外が便利という事情もあったようです。
しかし、こんなに離れていては雪は降るし、冬は到底ムリですが、そういったものと受け入れていたんでしょうね。

 

ちょっと話が逸れますが、昔、広い屋敷や城に住んでいた方たちは、当然トイレまでは相当離れています。なので部屋の中で、「おまる」を使っていたんです。その部屋は決して、薄暗く埃っぽいものでなく、装飾豊かで豪華な造りだったようす。
もしや、いや、きっと聖徳太子や紫式部、淀君も使っていた・・・かも?

 

 

 

トイレ話はこれくらいにします。

 

 

日影や窪地には、まだこのように残り雪が。

 

 

 

 

でも、しっかりと春は近づいてます。土手の水仙が間もなく咲きます。

 

 

先日アップしたチューリップが色づいてきました。

 

 

 

 

トイレの話になり今回でブログを終了、ということはありません。青空を仰ぎ花に春を感じてのメッセージです。

 

使用カメラ・SONYα6000

 

 

皆様、お元気で。

 

 

また、書きます。

 

 

 

拙著です。

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他の2冊はテーマの中で、ご紹介しております。よろしくお願いいたします。