彼は、1254年ベネチア(今のベニス)で生まれたといわれている。
1271年、父ニコロとおじマテオは、以前に、はるか遠くの元(今の中国)に行ったことはあるが、17歳のマルコには過酷な砂漠を越えることはまだムリだと、誰もが止めた。
しかし、マルコは反対を押し切り、ニコロ、マテオと旅に出ることにした。
彼らは貿易商で、この当時ヨーロッパでは東洋の絹、香料が大変珍しがられ、商人たちはそれらを仕入れるために元へ旅していた。
東洋と西洋を結ぶ、大陸横断道をシルクロードと呼んでいた(シルクロードとは、ドイツ人リヒトホーヘンによって名付けられたという)。
砂漠の旅は危険が多く、彼らは集団を作って旅をし、そうした彼らは隊商と呼ばれていた。
具体的な危険とは、まず、山賊。貿易品を持って旅をする商人は、絶好の狙いであった。
商人たちは、山賊と戦うことを極力避け、ひたすら逃げた。そのようなとき荷物を運ぶだけでなく、大いに頼りになったのがラクダだ。ラクダは、一つこぶ、二つこぶラクダがあって、そのこぶには脂肪がたまっていて、4、5日食料がなくてもしのげた。
また砂嵐に遭うと、荷物とラクダで円を作り、その中央に隊商が身を潜めていた。ラクダに残酷に感じられるが、ラクダは、鼻と目を閉じることができるから全く平気なのです。
また、砂嵐では大きな鈴を身に付け、互いの体をロープで結ぶことも大切なことであった。
さらに、知恵はまだあって、食料は水筒・乾パン・干し肉・動物の皮で作った食器入れ。布製テント。動物の堅い皮で作ったクツなどを装備した。
過酷な砂漠を乗り切るのは、それでも大変だ。例えば、仲間がはぐれても、絶対探すことはしなかった。自分の身を守るためには、心を強く持つことが大切だ、とマルコはニコロから教えられた。
砂漠というのは、年間の雨量が250ミリ以下といわれる。
砂漠は、(1)砂砂漠。(2)れき砂漠(小石でできている地帯)。(3)岩砂漠。(岩ばかりの地帯)
マルコたちは、中央アジアのタクラマカン砂漠、ゴビ砂漠を越え、元の国に入った。
ここまで書いて、だいぶ長くなったので、フビライハーンのことや元の国、ジパング、元寇の役、東方見聞録のことは、2、3日後にします。
文章ばかりなので、気分を変えて庭の餌台の様子。寒雀が元気に飯粒を食べてます。
使用カメラSONYα6000
拙著です。
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