701(大宝元)年、父、文武天皇(もんむてんのう)母、藤原宮子(ふじわらのみやし)の長男として誕生したのが、後の聖武天皇(しょうむてんのう)です。
またこの年、藤原不比等(ふじわらのふひと)(宮子の父親)や刑部親王(おさかべしんのう)らにより大宝律令(たいほうりつりょう)が定められ、天皇を中心とした律令制度が完成したのです。
律は罪を裁く、令は政治の実行のしかたです。
話は前後しますが、701年に不比等の妻が安宿媛(あすかべひめ)を生みました。
この方が、後に聖武天皇の妻となる光明皇后(こうみょうこうごう)です。
律令制度がスタートして間もなく、充分な仕事をするには、新しい都が必要と何十万人もの人が動員され新しい都の建設が始まりました。これが平城京で、現在の奈良県奈良市で三方が山に囲まれ、南に平野が広がる恵まれた場所でした。
新しい都にも、徐々に人が集まるようになり平城京も都の形を整え、708(和銅元)年に和同開珎(わどうかいちん)という硬貨が発行されたのですが、物々交換に慣れた人々に殆ど信用されませんでした。
一方で役人の税の取り立てが厳しく、飢えは深刻になり、疫病などで身分の低い人たちは苦しい日々でした。
そのころ、宮廷では凄まじい権力闘争があり、さらに、もがさ(天然痘)が猛威を振るった。
もがさに苦しむ人々に光明皇后は、父不比等が残した莫大な財産を投じて、屋敷を開放し施薬院(せやくいん)として治療に当たったのです。
しかし、大飢饉と大地震が追い打ちをかけ、天皇としての力量に悩む聖武。
つづく
どうしても、内容が固いので、遠慮なくスルーしてかまいません
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