アダルトチルドレン

自我の維持と、他者への攻撃により 精神を安定させようとするのが、人間なのか?
 
自制が、きかない。と、書けば それで、終わる事かも知れません。

 ただ、過去の心の闇に私たちは、翻弄されて 右往左往(うおうさおう)してる。

 児童(子供)時代の虐待に、由来する行動について いったい どう対応すればいいのでしょうか?

 自分が、したくて してるわけでないと いくら いっても 周りに 理解されず 自殺していく

 同じような心の闇を、抱えて 抱えきれず やり場のない気持ちで 自分が 押しつぶされる。

 人の一面で、人を判断しがちな 世知辛い(せちがらい)世の中ですが

 忙(せわ)しくすることで、見えない心が、山のように 落ちている。

 落ちてる 心を 拾わないと、機能不全の親に育てられた子供たちは、救われることはないだろう。

 もちろん、自分自身に価値がないと考え価値な我らの存在は、心の折れやすい人の集まりである。

 
  我らのことを、AC(アダルト・チルドレン)と、名称されることがあるが、英語の訳は、難しい

  報道ステショーンの古館伊知朗さんでさえ、「大人になりきれない子供」と、取り違える(間違え

  る)ぐらいなので、私的には、横文字は、あまり 適切な理解に結び付かないのであれば

  日本語で、表現するほうが 意味あることと、感じて止(や)まない。


 大阪精神障害者連絡会の事務局会議に、参加してるときに 尾上さんと、ACミーティングを、立ち上

 げ 当初は、アピア大阪の一室を借りて 参加協力金 500円というような形で 徴収しながら

 ACミーティングが、当事者運営を、主体とした運営をしようという意義で開設した。

 現在は、どうなってるのか、まったく わかりませんが

   虐待の連鎖について

 DVの会 機関紙を、たまたま 読んでみたら 虐待の連鎖は、自己を律することのできる人は

 我が子への虐待への回避は、出来ると 報告されていた。その意外な文章には、目が釘付けで、その

 機関紙を読みました。

 



 でも、いまさら 遅いよ。 虐待の連鎖は、神話だったのかよ。とか、読んでそう思った。

 ただ、虐待の連鎖の可能性は、ないわけではない。

 ややこしいが、自己理解 自己乖離(じこかいり)を自覚して その修正を 常にできればということ

 ではないのかと思う。

 まったくもって、面倒なことだと思う。

 


 機能不全の親に育てられた子供を、切り捨てられない社会にしていくことが、生き抜けた我らの役割か

 もしれない。


  ・・・ 死への誘いは、AC(アダルト・チルドレン)・機能不全の親に育てられた子供たちには、

   背負っていかなければならない。 嫌いな自分に、どう向き合うかが、個々の課題である。


                                    作者   中司正人