我がジム、プロの競輪選手生き残りをかけた戦い。大崎龍一郎、濱田翔平、高橋知里。 | グッドコンディションのトレーニングと店長日記

我がジム、プロの競輪選手生き残りをかけた戦い。大崎龍一郎、濱田翔平、高橋知里。

 

我がジムに来てもらってる競輪選手は上は112点、1年間で記念V3を達成している、古性優作選手。

愛媛からわざわざ競輪選手なる前から来てもらって、競輪選手になる前は超貧乏生活から、自分の力で来季S級までのし上がった佐々木豪選手。

千葉で一緒に菊関とトレーニングを組んで、ハンマー投げ日本王者の肩書とともに、華々しくデビューし、もうスポンサーやあっさりと2班に特進した野口裕史選手が上位にはいます。

 

しかしそんな華々しいのばかりではなく、戦力外「首」に直面する選手もわがジムにいるのは、まぎれもない事実。

我がジムは「適正あがり」がほぼなので、そうでない選手で自転車の適正がない場合は本当に苦労しています。

 

その第1弾は大崎龍一郎選手。

ちなみに写真をご覧ください。

これデビュー直後の写真と思われます。今の競輪JPのプロフィール画です。

そしてこうなりました。

 

明らかにかっこよくなっています。実際写真のカッコよさに比例して、

デビュー期 64.91

2期目 67.5あたり

そして現在 72.44

ちなみに男子は2期連続で70点を切ると、3期平均で下から30人は戦力外通告で引退となります。

まさにその真っただ中にいるのが大崎選手。

 

デビューしたての時に電話しましたが、話をしても跳ね返りがなく弱弱しかった。

2期目の時にいったん家に呼び寄せ話をしたとき、僕と相談したレース内容と全く違うくて、僕が匙投げて連絡取りませんでした。

この時は僕が先行で負けまくっているから、なりふり構わず先行にこだわらず、いろんなことをしろ!と言いました。この時は本当にきつかった。

 

しかし状況が少しずつ良くなったのは、同じ適正でキン肉マンでおなじみ黒川茂高選手と一緒に練習してから。

 

のびのび練習でき出したんでしょうか。そこから雰囲気が一変して、5月ぐらいから準決勝に乗り出しました。

そこからでしょうか雰囲気もカッコよくなっていき、少しずつぼくともコミニュケーションを取り出しました。

 

そして残り二か月。配分は5本あり、一番きついのは今回の立川。111期の強い選手の配分が多数いて、絶体絶命のピンチ。予選敗退の、一般も半分以下なら引退の危機に迫られる展開です。

 

そこで初日。4レース。見てびっくりしました。なんと変身で有名の福井の玉村選手と同じレースで玉村選手の番手。その玉村選手が最高の先行を見せ、初めての番手戦で見事1着!命の恩人以外何物でもありません。

そして二日目準決勝。次は布井選手の番手。これも布井選手が先行して、バックでまくられるも番手の仕事も少ししながら2着で決勝。まさかまさかの展開。

最終日は石川の吉川選手の番手。中部地区でもなりふり構わずの競輪界では新人は別線のセオリーを打ち破り自ら番手。最終日は7着でしたが、案外番手のセンスがあるかもと思うようなレースでした。

 

この節で点数も伸ばし、かなり来期に首のつながりどころか、来々期の2班昇級まで見えた状況。

最近のレースでは先行やまくりも出だして、そこで立川でこの強運。まさかまさかの展開。

 

競輪試験では僕のジムに着て1次免除のためにパワーリフティングをして、たった4か月で全日本ジュニア3位を勝ち取り一時免除。

学校では卒業検定規定タイム、1分14秒5を、1分13秒8で何とかクリア。

そしてデビューし、絶体絶命のピンチから、なんと関東でアウェーが、まさか本線の番手戦が転がり込んで、それで決勝を手繰り寄せるとは、持っているとしか言いようがない。

油断せず、あとの節も頑張ってほしいです。

 

 

濱田翔平選手は111期で、デビュー前の練習でまさかの落車で鎖骨骨折。

我がジムの練習生時代は、2年我がジムに通い続けて見事に競輪学校合格。

我がジム生え抜き初の、8kp20秒1200Wクリアの選手。

 

競輪学校では、今迄競輪どころか自転車をママチャリ以外乗ったことがないところからスタート。

日本拳法では社会人日本一に輝き、防衛大臣賞と厚生労働大臣賞の2冠王の敵なしの選手だが、いざ競輪になると、もともとは不器用なので、一苦労も二苦労も。

 

何とか選手検定は1分13秒台で無事クリアして卒業。

6月の大阪記録会では千メートル1分12秒台、ハロンは11秒3まで出して、単独走や体力ではアピールしたが、いざ7車で走る競輪になると、動くテンポはずれている、踏まないでいいところで踏んでいる、勝負しなくていいところで勝負している、と足の問題というべきか、戦略の問題で大敗を喫しています。

 

現在65点。このままのペースで行くと、約1年後は厳しい状況が待ってます。

 

この濱田選手の先輩が、夏山元選手。夏山選手は日本拳法の先輩で、同じ柏原高校で、中央大学です。

その夏山選手もわがジムに1年間びっしり来て競輪学校に合格。ただ濱田選手と同様に動きが硬い。スポーツの頭も固い。それに合格後一回も練習で我がジムに来たことはありませんでした。

その夏山選手は、3期連続70点未満で、代謝制度に引っ掛かり引退。

僕は同じ目を濱田にさせたくない。

 

とにかくまめに声をかけてジムに来てもらっています。ケトルベルは適正試験前まではいきませんgは大分戻りました。体力も問題ありません。競輪足ではないですが体力はあります。足らないのは「戦略」

 

来週から来てもらうと必ず5レースはレースを見てもらってシュミレーションしてもらおうと思っています。

あとは古武術の道場に通わせて、いらない力を使わない。伝えるところにきちんと力を伝える「柔出力トレーニング」を叩きこもうと思っています。

 

夏山元選手と違って、ジムには来てくれるし、言うことは理解しようと頑張ってるし、負けるパターンも毎回違うのは確認できているので、僕は希望を大いに持っています。

 

やっとの思いでつかんだ競輪のプロの座。20年はやってもらわないと。これからも一緒に考えて頑張ろう。

 

 

この高橋知里選手も苦労しました。わがジムに来たのは4年前?ゴルフのプロを目指した高橋知里選手。

そこから何を思ったのか競輪の道を目指します。

体力ははっきり言ってありません。ウエイトトレーニングの強さは少しあるかも?ですが、スポーツセンス、身体能力、共にありません。

ただ、気持ちの強さ、いざとなればお金を出して身を切るメンタルのずぶとさは最初から光っていました。

 

まず競輪選手になるときに一番苦労するのが自転車を確保すること。男子選手だと競輪選手のお古のフレームを借りて、部品を周りの人から集めて自転車を組んでくれる文化が、競輪界にはあります。

ですので師匠にお世話になるときに、道具がそろってそこから練習ができる状態が出来上がる、不思議なありがたい文化があるのが競輪界です。(そういう文化であって、どこでもではありません)

 

しかし女子になるとカーボンフレームと、男子と道具が全く違うので初期にお金が自転車代だけで40-50万必要です。

高橋選手のその時の職業はゴルフのキャディのバイト。日給月給です。

しかしコツコツためていたのでしょう。いるとわかったら、すっとお金を切って自転車を買っていました。

 

自転車競技をするとお金が本当にかかります。しかし高橋選手はいるものに関しては、すぐに買った。

決して裕福な状況ではありません。だけどそこだけはバシッと切っていた。

 

3回目の受験で何とかクリア。たぶんぎりぎりだったと思います。

そして学校卒業後、デビューしますが、最下位3連発の、777のスタート。

 

しかし競争でも、いざとなれば身を切る根性というか魂はありました。最終日、同じ負け方はダメだとなんとホームで先行。学校でもしたことがないそうですが、ちゃんと出きりました。

 

レース展開と、自分の実際の体力状況というのは客観的に見極めています。それでこれはできることなのか、できないことなのか。それは高橋選手よく考えています。

 

そして和歌山では決勝も乗ることができました。じわりじわりと点数をあげて47.04。代謝制度にひっかからないぎりぎりの点数まで持ちなおしました。

 

しかし9月の新人訓練で落車し鎖骨骨折。現在リハビリ中ですが、このままだと出走回数が足りません。

足らないと見なし点といって、足らない本数は全部40点として計算されてしまうので、それだとたとえ7着でも出たほうが、点数が上がります。

 

大きな試練の真っただ中の、高橋選手。しかし持ち前の土壇場でのメンタルの強さで、何とかこの状況打破してほしいです。

 

どの世界もそうですが、華々しいのは上のひと握り。

上の世界は競走自体が高度で危険度MAX。ぎりぎりの世界では、本当の生き残りをかけた戦いです。

 

つながりのある人は少しでもいい成績、いい点数を取ってほしい。ただそれを願うばかりです。