かなりピンチかも


自分を責めまくっている


かなりピンチだ



そういうことが趣味だっていうことも認めたくないし、馬鹿げている気がする。



あー!変態だー!!


自分を責めるのが趣味やねんな!


まじでへんたいだ!


あー!へんたいへんたいへんたいだ!!



あー!しにてぇ



認めたくねぇ




認めたくねぇ




でも認めなまたくるだけやろ?



もう勘弁してくれ




人に甘えたい。この環境に甘えたい。

だけど甘えたくない。


甘えたいし甘えたくない。


甘えられたらきっとすごく甘いんだろうな。


だけど甘えたくない。


怖い。

とにかく怖い。


言葉にできないけど、何かがとても嫌だ。


わからない。





日が経つのが早い笑


今の僕の望みは、罪悪感が減り自分の身にあった穏やかな暮らしができること。


自然な暮らしができること。



ひび、わからないが多くなっている。


わからないよ。


どうしちゃったんだろうな?あれだけ昔はわかっていたのに、今は本当にわからない。


というかわからないって言いたい。


わからないよ。


とにかくわからない
わかりたくないよ。

早〜、ゲームしかしてなかった気がする笑


こんな生活ができるなんてちょっと前はまるで思っていなかった。


でも、常日頃こんなはずじゃなったと後悔してる笑笑



日々もっとうまくやる方法があったんじゃないか、もう立派な社会不適合者じゃないかと自分を責めるけど、今の方がいいと感じてる。



以前願ったことが叶ってると思う。


願いが叶っているのに自分を責め続けてるなんて、バカだなぁ(笑)


臨んでいたものが叶っても、こんなもんなんだね。


願いが叶ったら、すげー自信に溢れて悩みなんて一切なくなって満たされ続けるなんてことはなかった笑笑


漫画の中だけの話だった😞



まだまだ休みたい。

もっともっと何もしたくない。


休んじゃだめだと責め続ける傍で、もっともっと休みたいと囁いている自分がいる。



天使と悪魔っていうのは本当にいた😎


僕にとって死ぬとは、親とぶつかること。

勿論、単純な死に対しての怖さは当たり前として、僕にはもう一つ死に対しての怖さがあった。


死ぬ気はないよ?


僕のもう一つの死に対しての怖さである親とぶつかること。


きっかけは中学3年生の頃だった気がする。

その時いろいろ参っていて、精神的にも弱っていた感じ。

そんな時に風呂場での鏡をみて、自分をみて、今やったら死のうと思ったら死ねるなと思ったのを覚えている。

その時思った。今二階から飛び降りて自殺したら親に迷惑がかかる、って。

親が悲しんでる顔や、激怒している顔や、取り返しのつかないという顔が頭に浮かんだ。そして僕は親が悲しむからと生きることを選んだ。


ずっとそのことは自分の中で誇りに思ってきた。そして、もう死からも逃げてきた。死なんて常識的に考えてあっちゃいけないとか、死を見ることさえできなかった。


グロテスクな動画もゲームもとにかく人が死ぬ姿とかはダメだった


家も改めて見ると、そういう系の漫画が一切ない。


僕は勘違いをしていた。
あの時頭に浮かんだのは、綺麗なものじゃなかった。


あの時思っていたのは、親を悲しませて、激怒させて、勝手に死んで、その結果僕自身の処遇が怖かったんだ。


本当に謎だけど、死んだらもういないのに、あとで親から殴られたりひどいことされるっていう怖さに震え上がっていた。


呪いのようだった。



だから僕は今まで死から逃げていた。


あの日遭遇した親の幻想から逃げてきた。


自分が死ぬことを考えてみると、親が見ているという怖さが一番にくる。


子どもの頃から間違っても死なないように脅されてた記憶がある気がする。気のせいかもしれないけど。


「死んだら許さんからな」


5歳くらいの頃の記憶。



何度も言われてきた。


母は、自分に言っていたのか?



ふと、気づいた死のことについて書きたくなったんです。






カレーが終わらない。はっきりわかんだね。

〇〇が無い→問題

逆に、〇〇がある人には❌が付く


この❌は自分がしてはいけないと思ってやっていないこと。


→やってみる


やってみると❌が⭕️に変わったりする



そしたら問題が消える



ということは、今ないと思っているんだから、ちゃんとある人には❌がついて、その人と同じことを真似してやれば価値観は変わっていく



結果問題は消える、無くなる


どうせのひっくり返しも結局は価値観で❌を付けていることと同じことをするためのサポート?


ということは、人を模範として真似するのが正解


つまり、自分は我が道を行く。誰もできない自分だけのことをするというのは、間違っているんじゃないか?



真似をする。目の前にいる人の真似をする。


とにかくやる。


もう我が道を行くなんて間違っていると思う。



とりあえず〇〇があると思っている人と同じ振る舞いをし続ければいいんだよな?




逆だったのかな?


間違った方向に突っ走っていた?


というのもここ最近眠れなかったから。


そろそろ心が痛くなってきてる。


これこのままやってたら心壊す感じがする。


逆やったんやろな


あると思っている人の振る舞いをするんだね。



頑張って限界まで間違えれてよかった。


ほんとに財産になってる。


この体験を胸に次のステージへいく。

家の教育方針がそのまま叶っていたら、俺は羽川翼になれてたに違いない。



我なんて汚らしいものは消えて、ただ淡々と正しいから正しいことをしていたに違いない。



俺が出来損ないのせいで、親の望みは叶わなかった。


ごめんなさい、本当にごめんなさい。僕がおかしかったばかりに正しいことを正しくできなくて!


んなわけあるか

初めの頃は「いや」と呟くだけで恐ろしかったのに、だいぶマシになってきた。


最近スマホゲームにハマってる。


 始めたのは去年の7月ぐらいからだけど、元となってる小説が好きで以来ずっとやってる。


課金し出したのはヘルパーさんに断りを入れた9月ぐらいかな


2年間、過ごしてみて、お金を貯めようと好きなことを我慢して義務ばかりやっていだけれど、結局お金はたまらなかった。


無理してるからそらそうなんだけど、買い食いしたり、やたら高い食べ物買ったりしていつの間にか消えていくもんやった。



もうええやろ、どっちにしろたまらんのやから好きなことに使って。


ストレスがかなり減ってその上満足もしているからもういいだろ。



食費を安くするために最近は料理をしている。



カレーが美味い。


栄養も取れて満腹感もあって何よりうまくて飽きない。


一ヶ月連続カレーとかあったからね。


小分けして冷凍したらいつでも食べられるし、たくさん作れるから安く済む。


そろそろ肉じゃがを作りたいな。


あれ手間かかるけど、美味しいから。


いつかすき焼きを作って食べたい。


子どもの頃大好きやった食べ物のひとつやから。



ここだけの話、11月とか残り10日を米一号で過ごさなあかんかったときがあったけど、あのときは流石に途方に暮れた(笑)


草採って食べることを真剣に検討してたもん


あれから流石に食事については見直した。


その結果、12月は期待を裏切ってまた同じ目にあった。


そう簡単には思い通りにいかないよね。


見積もりが甘かった。


でもすごいよね?ほんとに衣食住の食が欠けてると不安定になるんだよ。


心細くなって自然と危機感をずっと感じながら余裕がなくなる。


今思えばなんであんな感じに陥っていたのかわからないくらいの感じだった。


おかげで今日もカレーを美味しく頂いております。




悩め、苦しめ、苦悶しろ。それを手放した者は諦めたということだ。


今までやってきたことが逆だと分かった時。


人を本当に相手にせず生きる


生き方



もう、合わせる生き方が身についてしまったから。



本当は言いたいことも考え方も行動も根っこが人に合わせることに根付いているから。


根付いているこの行動理念と逆のことをしていかないと一生このままだから。


でも、苦しい、悩む、できるビジョンが見えない。


できる気が全くしない。


苦悶している。



でも、僕が好きな本で言っていた。


【「王は孤独だと、誰もが言う」
「王は孤独だと、誰もが憐れむ」

「当然だ。王とは、己の責務を誰にも渡さない者を言うのだから」
責任を、決断を分かち合おうとした者から王として腐っていく。

「だから、今を悩んで、苦しんでいる王子(あなた)は健全だ」

何もおかしなことはない。それこそ数多の王がぶつかってきた壁だと。

「自分らしく振る舞え。他者の目に屈するのはよせ。積み重なる責務を己の弱さと履き違えるのはやめろ。無力を呪う前に、目の前の現実に向かえ」

「己を賭して、気高くあれ。英雄のように」

たとえ失敗し、国を滅ぼして、多くの恨みを買ったとしても……神々(わたしたち)だけは子供(あなた)達を称えよう」

「誰にも理解されず苦しみから逃れず、決断した王(あなた)達を、謳おう」】


これは一個人としても教えられることが多い気がする。


いくら発達しても、人は人のままだ。


本質なんてこういうもんなんだろ。



かつて身分のあるものしか許されなかった権利が、今じゃ一個人がその資格を得ているってことだ。