悩め、苦しめ、苦悶しろ。それを手放した者は諦めたということだ。


今までやってきたことが逆だと分かった時。


人を本当に相手にせず生きる


生き方



もう、合わせる生き方が身についてしまったから。



本当は言いたいことも考え方も行動も根っこが人に合わせることに根付いているから。


根付いているこの行動理念と逆のことをしていかないと一生このままだから。


でも、苦しい、悩む、できるビジョンが見えない。


できる気が全くしない。


苦悶している。



でも、僕が好きな本で言っていた。


【「王は孤独だと、誰もが言う」
「王は孤独だと、誰もが憐れむ」

「当然だ。王とは、己の責務を誰にも渡さない者を言うのだから」
責任を、決断を分かち合おうとした者から王として腐っていく。

「だから、今を悩んで、苦しんでいる王子(あなた)は健全だ」

何もおかしなことはない。それこそ数多の王がぶつかってきた壁だと。

「自分らしく振る舞え。他者の目に屈するのはよせ。積み重なる責務を己の弱さと履き違えるのはやめろ。無力を呪う前に、目の前の現実に向かえ」

「己を賭して、気高くあれ。英雄のように」

たとえ失敗し、国を滅ぼして、多くの恨みを買ったとしても……神々(わたしたち)だけは子供(あなた)達を称えよう」

「誰にも理解されず苦しみから逃れず、決断した王(あなた)達を、謳おう」】


これは一個人としても教えられることが多い気がする。


いくら発達しても、人は人のままだ。


本質なんてこういうもんなんだろ。



かつて身分のあるものしか許されなかった権利が、今じゃ一個人がその資格を得ているってことだ。