去年 ちょび5歳 8月13日
MRI画像を見ながら
『 うちで出来る事はありません。おそらく余命は1ヶ月でしょう 』 と 院長は言った
🐶病院がお盆休みの間のステロイドを5日分処方し
帰り際に僕たちに
『 次回 今後どうするか決めて来てください 』 と言った。
治療の選択肢や脳腫瘍との共存・緩和治療について
何一つ提案もないまま そう言われ
『 何を? どう決めるの? 』 僕たちは絶望しかなかった。
もたれていないと座る事も出来ず 物で囲んでいた そのまま寝てる事もあった
5日後の🐶病院に行くまでの間の僕たちは
ちょびは脳からの指令が上手く伝わらないのか
ぐったりとして立ち上がることも難しく まったく排泄しなくなった。
漏らしてもいいのに・・・ そう僕たちが思っても
ちょびは頑としてトイレ以外ではしなかった。
僕たちは定期的にちょびの陰部を刺激し 排尿や排便をさせる事にした。
立てない為 這ってでもトイレに行こうとするちょびのからだを片手で抱え
もう片方の手で陰部を刺激した。
刺激してもすぐには出ず 5分、10分は当たり前だった。
オシッコが大量に出た時は こんなに我慢していたのかと 涙がでた。
祖父の所にいた
娘の🌸ちゃんがmamaの話を聞いて駆け付けた
思いもよらない突然のちょびの状態に 絶句していた。
『 🌸ちゃんが来たよ 』 mamaが言うと
必死に顔を上げ前脚を🌸ちゃんの膝にのせ
微かに『クゥン』と鼻をならし 嬉しそうに尻尾振った。
先日 今のちょびの主治医の🌟病院の先生と この時期のMRI画像を見ながら話した。 ちょびの腫瘍は人間なら言葉が出なくなる 視床の位置にあり
この時 既に言葉を失っていた様だ。
脳腫瘍と言われたあの時は
右半身が麻痺していた為 排泄や食事も不自由だったし
右目も見えていなかったので 声が出なくても 不思議に思っていなかった。
mamaは病院を変えたいと言った
『何も出来ない』と言われて 1ヶ月、命が途絶えるのをただ見ているのは嫌だと言った。
僕は反対した。 先生が余命宣告をしているのに 医療の知識も無い僕たちが
弱ったちょびを連れまわして 病院を回っても 死期を早めるだけだ。
🐶病院はこの辺では 高度医療の出来る最新機器を揃えた病院だ。
その院長が診断しているのに それ以上の答えなんてない。
行きたいなら mamaが一人で行けばいいと 僕は言った。
次回の診察まで 毎日 口論が続いた。
いつもありがとうございます
これからも ぐうちょびを宜しくです (๑◔‿◔๑)~♡