余命宣告から半年すぎた今年

ブログを始めたきっかけをお話しさせてください。

 

同じ様な病気で 死を待つだけと 諦めかけている飼い主さんがいるとしたら 

少しでも 参考になったり 力になれたらと始めました。

 

去年の8月 脳腫瘍が分かり

立ち上がることが難しいちょびは 排泄もしなくなった。

だから リビングでちょびを囲んで 皆で寝た。 

脳からの指令が上手く伝わらないのか 排泄出来ない時は 

僕たちが刺激をして 排泄させた。

 

大量のオシッコに こんなに我慢していたのかと 涙がでた。

漏らしてもいいのに・・・ そう言っても ちょびは頑としてトイレに行こうとした。

立てない為 這ってトイレに行こうとするちょびのからだを支え排泄をさせた。

  真夜中 ちょびはmamaの頭をカリカリと掻いてトイレを知らせる事もありました

 

少し動けるようになると ふらつきながらトイレに向かう姿に また涙がでた。

 

当時のmamaは仕事の時 お昼休憩は様子を見に帰宅し 

何があっても定時に帰るという生活を繰り返した。

 

1番大変だったのは ウンチの時 

クルクル回ってから ウンチをするちょびは

回らないとウンチが出来ず サポートするのが大変だった。

 

最初の🐶病院で

『うちでは何も出来ない』『少し良くなっても 期待しない方がいいですよ』

『ご家庭で静かに最後の日まで過ごした方が・・』 と言われる度 

心の準備をしてください。  と言われているのが分かった。

 

mamaは 何度もセカンドオピニオンをしたいと言ったが 僕は反対した。

『ご家庭で静かに最後を過ごした方が・・』と先生がそう言った以上 

もう出来ることは無いと思った。 

 

正直 僕は先生の話すことが全てで 今のちょびの姿を想像はしていなかった。

 

でもmamaは納得も諦めもしなかった。

 

ちょびの事で喧嘩をしない日は無かった。

 

その時 娘の🌸ちゃんが

『 mamaはちょびが死んだら やってもやらなくても自分を責めるはず

それなら ちょびの為と思う事してあげたらいいと思う』と言った。

 

mamaは 病院でいわれた言葉もショックだったけど

諦めきれず 治療の相談や薬の処方を頼みに行く度 

『何で?また来た)?!』と困惑する先生の態度が悲しかったという。

 

だから 他の病院に行ったとして 態度が同じなら

もうこれ以上傷つきたくないし 私は結局ちょびを弱らせてるだけなの? 

 などの迷いはあった様です。

 

でも それ以上に生きようと頑張っているちょびの姿を見て

なんとかしてあげたいという気持ちの方が強かったといいます。

                               ⇒   【余命宣告】 【進撃のちょびん 1 ・ 2 】

                                    【命の母A】  【命の母B】  見てください

 麻痺で 体が傾く為 ご飯は今も食べさせています   *当時 少し良くなった時の写真  

 

僕たちには何の医療の知識もありません。

 

でも ちょびの事を1番分かっているのは mamaです

 

飼い主にしか出来ない事 分かってあげれることがあるはずです。

 

病気になった ちょびにとって何が嬉しくて 何がつらいかを1番に考え

 

mamaは何軒も病院を回り 現在に至っています。

 

今 していることが 本当に正しいかはちょびと神様にしかわからないでしょう。

 

それでも 毎日mama甘えて離れないちょびを見ていると

 

それが答えなのではないかと思います。

 

これからも このブログを続けていく上で 

 

病気のワンコとその飼い主さんの治療のヒントになったり

 

皆さんと病気について情報共有ができれば 嬉しいです。

 

 

  追伸

 

   『 当時を思い出せば 

 

     普通に過ごす毎日が  幸せで有難い事だと知りました。

     

      重い病気を患って 同じ思いをしている飼い主の皆さんに

 

           私たちの毎日が 僅かでも希望や励ましになれば幸いです』

                                            

 

                                           mamaより