おまけの価値が本体を上回る、ということが子供のころよくあった。代表的なものをひとつ二つあげると、ひとつにはグリコのおまけ、もうひとつには仮面ライダースナックのライダーカードがありました。おまけが欲しくて必要以上に買った記憶があるんです。最近だとゲームソフト付随のアタッチメント類とか、パソコンインターフェイス付属の無料ダウンロードソフトなどがありますが、最近のものは付加価値にやや夢がないように思うんです。まず、集めたところで将来的に骨董価値が出て化けることなどない、なんていうことは言いませんが、想像力を刺激するような部分あるいは仕掛けがどうも失われているような気がしてならないんです。

 

このあいだ、ロッキー山脈で富豪の美術商によって隠された財宝が見つかったニュースがありました。久々に おもしろいニュースだなと。この美術商は不況の中にも人々に希望を見出してほしいという願いから自然探検を通した宝探しを企画したということらしいのです。
仕掛けが何かの小説や映画に出てきそうでもあり、まず実際に試みる人がいたということに驚きました。

 

でもスタートは作り話ではなく本当かどうかの担保はなかったはずなんです。冒険者たちは信じたんでしょう。仕掛けは本当だと信じるところつまり賭けから物語りは始まったんです。仕掛ける方も探す方もどちらも冒険心があって魅力的ですね。大仕掛けな話だけど今の日本にはありそうでないかも。あれば挑戦してみたいような気がします。