何を買うにしても、どこへ行くにしても、口コミが書かれている今の時代。
選択の判断材料として、口コミという消費者のリアルな声を参考にしている人も多いだろう。
自分も例に漏れず、フィルターのかかっていないリアルな反応を知りたいから、口コミには目を通すようにしている。
そんな中で最近、主観的な口コミは参考にしなくてもいいんじゃない?と思い始めた。
というのも先日、口コミの評価が高かった小説を購入し期待しながら読み始めたものの、それほど面白くなくて残念だった、ということがあった。
口コミの高評価に釣られ失敗した。よくある話だと思う。
これまでにも似たような経験はたくさんあった。
ただこの時の読後に感じた心のモヤモヤが、しばらく心から離れなかった。
このモヤモヤの正体はいったい何なのか。頭の中にいくつか候補が思い浮かぶ。
自分が一番しっくりきたのは、「口コミがの評価が良いからという理由だけで購入を決めたこと」だった。
口コミはほとんど主観的なもの。
あくまでその人がどう思ったかを綴っているだけで、「自分がどう感じるか」と「他人がどう感じるか」は全くの別物。
それは感じ方も考え方も人それぞれ違うから。同じ人間なんて誰一人としていない。
それなのに周りの口コミが良い=自分にも合うと思い込んで、いつしか他人と自分を同化してしまっていた。
そうやって他人と同化することで、「ほかの人がオススメしてるから面白いでしょ」と、自分の頭で考え選択することの面倒くささから逃れようとしていた。
あるいは買い物で失敗したくないから、多くの人が評価しているものを選択しようとしていたのかもしれない。
いずれにしても人まかせな選択だなと思うし、まったく無自覚だった。
そうして選択を他人に委ねているうちに、何が好きで何が嫌いなのか、何が大事で何が大事じゃないのか、自分の価値観が曖昧になっていくんだろう。
自分という輪郭がぼやけていくみたいに。
もちろん口コミは参考になるし、消費者にとってこれからも必要だと思う。自分も購入しようか悩んでいるときに、それのおかげで助かったことが今までにたくさんあった。
口コミは便利だ。だけどその利便性に頼りすぎることは気を付けなきゃいけない。
自分で考えて判断するという選択を蔑ろにして、自分を見失わないように。
他者の言葉とは程よい距離感を保っていきたい。