4人の子供たちは面白いことに何かと2:2に分かれる。
まず顔は1と4(父親寄り),2と3(母親寄り)。
体系は1と3(太りやすい)、2と4(やせ型)。
インドア派は1と4,アスリート系は2と3。
メンタルは1と3(意外と図太い)、2と4(繊細)。
あらためて見ると、1と2,3と4という別れ方はしないんだな。
ちなみに1長女(24歳)、2長男(20歳)、3次女(19歳)、4三女(17歳)
長女はジャカルタで生まれ、生後6か月のとき親子3人で日本に戻ってきた。
1998年、アジア通貨危機からスハルト大統領が政権を失うに至り、各地で暴動が起こった。私が住んでいる近くでも、スーパーが焼き討ちされたり、略奪されたりで危険な状態が続いていた。日本大使館からも出国の準備など連絡がきていた。
日本人は目立つので、私は家から一歩も外に出ないようにしていた。
日本でどのように報道されたかニュースを見たことはないが、私の両親がひどく心配をし、特に孫を案じて日本に戻ってこいと住むところを用意して待っていた。
夫は8人きょうだいの4番目。10歳で父親を亡くし兄たちとともに早くから働き、妹弟たちの学費を工面してきた。そこで義母に、息子を日本に連れて行ってもいいかとたずねると、一人ぐらい遠くに行ってもいいよ、とのことで、夫も日本に住んでみたいと言っていたので、難なく決定。
南国暮らしも3年もするとちょっぴり飽きて、そろそろ帰りたいと思っていた。
毎朝6時に夜が明けて夕方6時に日が暮れる。季節は雨季と乾季のみ。
ちょうど今頃になると、ああ日本ではそろそろ冷たい風が吹いて、クリスマスシーズンがやってくるんだなぁ、とTシャツ短パンで懐かしんでいた。