俳優の今井さんが亡くなった。
結構ショックだった。

好きな俳優さんであった事もあるけど、旦那と年齢、病気も一緒だった。旦那は幸いにも7年頑張れた。

思い返せば、旦那の癌も、最初は腹痛。
お腹の張りを半年訴えていた。上行結腸だと症状がわかりにくい。
体重は、マックスから10キロは痩せていた。
当時は葬儀屋のアルバイト的な事をしていたから、仕事が大変だからだと思っていた。
具合が悪い時だけ行き、薬は私に貰いにいかせ、検査結果も聞きに行かなかった。
結果、腸閉塞で入院して癌が判った。
近くの先生には、癌だと思うと当日告げられて紹介状も貰っていたので、大学病院に入院出来た。
絶食。鼻から管をして腸の内容物を出し、手術。大腸20㎝とリンパ節を取った。
ここで腹膜に転移があれば余命が出てしまう、厳しい状態だった。

11月22日か23日に入院して、年末に妹夫婦と桑田さんの年越しライブに行った。まだ歩くのもキツい状態だった。

そこから肝転移し手術。。肺転移、手術不可。絵に描いたような進行。

途中、血液の数値が下がり、抗がん剤が殆ど出来なくても足踏みしていた。
現状維持が続いていた。

私の父が亡くなった後くらいから、抗がん剤を弱めて再スタートした。今から3年前位。先生は、この時点で抗がん剤をしなければ余命半年と診断したとのちに聞いた。

この頃女と知り合ったと推測される。悪さを始めて癌もゆるやかに動き出した。

幸いにも抗がん剤の副作用はそこまで酷くなく、胸のポートを使い三日間の点滴。
初日は普段通り。点滴を抜く3日目、またその翌日が一番キツかった。
でも、繰り返して蓄積されてくると怠さ倦怠感が増してきて、キツい日が長くなっていった。

一昨年年末位から、特に咳が酷くなって心配していた。3月末頃に女の所から戻って来たら、更に激しく具合が悪くなり、痛みと咳で横にもなれず眠れなくなった。3日間何もしないで頑張った。
緊急外来で見て貰いそのまま入院。
モルヒネが始まった。

モルヒネは咳も熱も全てを抑えた。
今思えば、電車で行って病院で五時間近く待った。
救急車で行くべきだった。
本当に死を覚悟したと言っていた。

モルヒネは2ヶ月は調子良かった。
効かなくなると咳が出始め、痛みもくる。抗がん剤の副作用が辛くなった。
吐き気も強く出るようになり、嘔吐するようになり、更に弱くしてもらった。

モルヒネを始めてからは体重は減るばかり。モリモリ食べても減る。本人も凄く悩んでいた。
私は、モルヒネも抗がん剤も体力を奪うからね。って、いつも励ましていた。

励ましの中には、楽観的希望は入れなかった。旦那が超プラス思考で頑張っていたから、あえて現実的にしようと決めていた。

癌は進み出すと止まらない。
あっと、いう間に更に10キロ減った。

亡くなる1ヶ月前から肩が痛い腕が痺れると言いだした。
それから箸が持ちにくくなり、旦那は脳転移しているかもと言いだした。

先生はあえて検査はしなかった。

その頃には、呂律も回りにくくなり、声も出にくく、食事も殆どとれなくなっていた。

そんな状態でも、亡くなる一週間前に私をホームセンターやスーパーまで連れて行ってくれた。
私に対するお詫びなのか、思い出つくりなのか。その時に買ったみかん缶。まだ手をつけられない。
私が先にお花を買っていて、エスカレーターからおりてきている姿は、本当に覇気が無く、陰が薄かった。
相当辛かったのではと思い、後から行かなくても良かったのにと、言ったら、それはいいんだ。って。

ホームセンターに向かう道中で、薬を飲むためにセブンイレブンで餡饅を買って食べた。
その時にスピードくじでお茶が当たった事を今日、思い出した。
まだ冷蔵庫にある。

今井さんの記者会見を、見て、顎のシワや呂律、痩せ方。同じだなって。だから胸が苦しくなる。

今日、思い出した時に残さないと、私の記憶が思いの外速いスピードで無くなっていく。

私の胸の痛みが原因なのかわからないけど。
旦那を思い出すと、女が出てくる。
あの時女のとこに行ってたんだなとか、私に対して悪いと思う気持ちは無かったのだろうか?
悪いと思ったから、私に女の存在を打ち明けて、携帯のロックを外してくれたんだよねとか。

江原啓之先生は、打ち明けた事が謝罪だと言ってくれた。

私も、父の事やらで、目をそらしてしまったのかもしれない。
薄々は女の存在は判っていた。認めなかっただけ。
旦那のやることに、肯定して認めてあげなかったのも、悪かったのかな?
あまりにも破天荒で私の良識を外れていて肯定は出来なかった。

誰かに認めて欲しかったのかもしれない。

今日、金スマで中村獅童さんの披露宴を見た。貰い泣きした。
自分達の披露宴を思い出した。

あの時の気持には嘘は無かったよね。

あの時も色々あったけど、しあわせだったな。新婚旅行も伊豆と山形。

旦那はパスポートを常に更新していたけど、一度も使わなかったね。

一度、韓国へ行くとか言っていたけど、認めなかったら行かなかった。
あれ、きっと女だったと思う。

仕事で湯河原に行ったけど、あれも女だね。で、場所も違うね。だって土産が無かったもの。

昏睡状態も亡くなる日だけ。それでも本当に亡くなる間際まで会話にはならない話が出来た。

本当にロクデナシでヒトデナシだったよ。
私が一番嫌がる事をして、しかも言い捨てて。大嫌いだ!

でも、悔しいかなきらいになれないから涙が止まらん!

旦那は、身長175センチ75キロがベスト体重だと言っていたが、多分最後は50キロ近くまで落ちていたと思う。

ここまで打って、やっと旦那の声。無くなる間際の声を思い出した。

訃報が多く、悲しい。
今井雅之さん、そして今いくよさんのご冥福を心よりお祈り致します。