豊臣期と徳川期にとって端午の節句は権力を示す重要な行事として深く結びついていました。大坂城(豊臣期)と端午の節句(菖蒲の節句とも呼ばれ、邪気を払う薬草であるショウブ(サトイモ科)の強い香りで無病息災を願う日)は、毎年5月5日には全国各地の大名から秀頼に祝儀が届けられ、秀頼への忠誠を誓う場となっていました。また、菖蒲が「勝負」に通じることから、男児の成長と武運長久を願う尚武の気質を養う場でもありました。 また、大坂夏の陣という悲劇を迎える時期(5月7日に大坂城落城)でもありました。徳川幕府(江戸時代)における端午の節句は、5月5日を重要な式日と定めた幕府の制度に伴い、それまでの厄払いという風習に武家社会の価値観が融合し、幕府の権威を象徴する極めて重要な「式日(公式行事)」でした。