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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

2014年12月にキネマ旬報が「オールタイム・ベスト日本映画男優・女優」を発表。

三船が男優一位。

映画人・評論家・文化人の方々など181名へのアンケートにより、120年に及ぶ映画の歴史の中から、ベストと思われる日本映画の男優と女優をそれぞれ選んでいただき、そのランキングを発表。

株式会社キネマ旬報社のプレスリリースアイキャッチ画像

『キネマ旬報』創刊95周年記念

【日本映画男優】
1位 三船敏郎
2位 森雅之
3位 市川雷蔵
4位 勝新太郎
4位 高倉健
6位 原田芳雄
6位 松田優作
8位 役所広司
9位 三國連太郎
10位 志村喬

【日本映画女優】
1位 高峰秀子
2位 若尾文子
3位 富司純子(藤純子)
4位 浅丘ルリ子
4位 原節子
4位 山田五十鈴
7位 岸惠子
8位 安藤サクラ
8位 田中絹代
8位 夏目雅子

このようなアンケート方式によるランキングは、いつ実施されたかによって、当時の記憶の新しい

 

あるいは鮮烈な記憶に残っている人が予想外にラングアップされることもあるだろう。

 

しかし三船は日本映画史上最高の男優であるという評価は当分揺るぎ無いと思う。

 

このアンケートの視点を少しずらして「最高の映画スター」とすれば、男優では石原裕次郎や

 

渥美清が、女優では吉永小百合がランクインするであろう。

 

その証左に、同じキネマ旬報社が2000年に行った著名人と、映画ファンによる20世紀の映画スター

 

を参考のためにリンクを貼っておく。

 

中学時代に学校を抜け出して観た映画は石原裕次郎で、その後は青春ヒーローものにも、

 

ヤクザ映画などにも大して興味を持てなかったので、足は自然に映画館から遠のいた。

 

大概の人は、映画を誰に連れて行ってもらって見たか、とかたまたま自分を重ね合わすことが出来る

 

存在がスクリーン上に発見できたか、などによって 見た映画も、役者の評価も違ってくるに違いない。

 

隠し砦の三悪人」などは子供のころ見た記憶があるが、そのキリっとした顔と姿態の上原美佐

 

印象に残っているのは芽生え始めたテステストロンの所為か。

 

このドキュメンタリー映画の中で、ペンタゴン・ペパーズ」 のスピルバーグや、「沈黙ーサイレンス」

 

のスコセッシ両監督が、三船の演技をべた褒めしている。(注1)

 

あの「完璧主義者」として知られ、クランクアップは何時になるかわからない、とされた黒沢明監督が、

 

三船には一切ダメ出しをせず、信頼して好きなように演技させたのは、三船の、役に対する理解の

 

深さと、その表現の、黒沢の予想を超えた独創性ー天才があったからに違いない。

 

三船の父は秋田の人、母親は新潟の人、共に雪深い裏日本で両親から「我慢強さ」を自然に

 

受け継いだに違いない。

 

戦争で両親も変えるべき場所も失った三船は、「あの戦争は無益な殺戮だった」と言い切っている

 

自分の出番の一時間前には独り、現場で待機し、出番が遅れても一切文句を言わずに黙々と

 

待っていたらしい。(三船は付き人を持たなかった)

 

それらを重ね合わせる時、三船の「地」にある孤独の陰が、彼の演技に深みをもたらしたに違いない。

 

昭和25年、東宝ニューフェイスの同期生であった吉峰幸子と結婚するが、まだ若く血気盛んな三船は

 

無口なだけに怒りっぽく、何度ぶたれたかわかりません。撮影に入る直前が特に気が荒くなり、(中略)

 

撮影が始まるとケロッとした顔で「ぶったりしてわるかったなあ」といかにも照れくさそうに(夫人に)

 

詫びる」(注2)

 

僕は俳優にはなりません。男のくせにツラで飯を食うというのは、あまり好きじゃない

 

と、ニューフェイスのころ、谷口千吉に出演を依頼されて、断ったエピソードがある。

 

三船の暴力は、俳優としての下地が無かった三船が「ツラでなく、演技力で」評価されるために

 

払われた代償の一部であると思う。

 

一方、「幸子夫人は、三船に何か言われた時、黙って飲み込むことなくすぐに言い返すタイプだった」

 

それが油に火を注ぐ結果になった。と後年、二人の間の次男が述懐している。(注3)

 

後年、黒沢と仲違いし、大手五社の経営危機を救う形でスタートした「三船プロ」も部下の離反で

 

危機に陥り、幸子夫人との離婚訴訟も泥沼化してスキャンダルになる、その間二十年以上

 

続いた創価学会員 喜多川美佳との別居など、晩年は災難、苦難の連続であったが

 

それらの事は三船敏郎の映画人としての評価をいささかも損なうものではない

 

黒沢との確執も「スピーディな演技、それでいて、驚くほど繊細な神経と、デリケートな心を

 

持っているので、荒っぽい役でも、単なる粗暴な性格にならないところが魅力でした。

 

とにかく、僕は三船という役者に惚れこみました」(注4)と黒沢が三船に弔辞を送ったことで融解した。

 

このドキュメンタリーの三船に対する視角は、横文字の「サムライ」であるが、それは彼の生きざま

 

の中に、浪人の気位を重ね合わせたのだろうか。

 

むしろサムライ」の枠「に収まりきらないところが、三船の真骨頂だったのではないか。

 

尚、映画を見た後、フロントで以下の本を買い求め、そこからいくつか引用した。

 

著者は、松田優作夫人の松田美智子氏である。

 

注1:三船の葬儀には シラク フランス大統領を始め、アラン・ドロンやマーロン・ブランドなどから

 

   数多くの弔電が寄せられたスピルバーグは「彼は孤独の人でしたが、何者にもまして、彼は

 

   今の世の中ではまれな何かを持っていました。それは威厳そのものです」同書p12

 

注2:同書p35

 

注3:同書p158

 

注4:同書p270