今日はフィットネスで汗を流した後、ホテルのフロントで、参観可能なプロテスタント教会の日曜礼拝に参加して、午後仁川空港へ、と大まかな予定を立てていたのだが、6時半に地下一階のフィットネス・スパは真っ暗闇。フロントで聞くと日曜日は休み。
日曜こそ宿泊客がフィットネスのニーズは高い、と思っていたのでびっくりするが、受付前の立て看板には確かにそう書いてある。この思い込みは間違っているとは思えないが。
仕方なく出発の準備をし、行きたいと思っていた明洞の永楽教会に、幸いなるかな、外国人席が設けられている、とググってわかったので9時半からの礼拝に出かける。
行きがけにベルデスクで日本語のわかる彼にレイトチェックアウトを頼む。
14時まで無料で使える、と言うので是非、と依頼する。
永楽教会の場所をベルで確認して9時過ぎには到着。
続々と人が集まってくる。
英語で外国人席があると聞いた旨言うが、英語を解せる人がいない。
で連れで来てくれた人に言うと、その席まで案内してくれる。
そこで日本語のわかるご婦人から日本語の礼拝次第を受け取り席に着くが、日本語の聖書・讃美歌、それにイヤホンガイドが据え付けられ、英語・日本語・ロシア語の3チャンネルがある。
説教が始まるが、「キリスト信仰の確信を基に世の中に堂々と立ち向かって勝利する」という、とても世俗的な内容と、「北朝鮮の人たちに憐れみを」と祈る、この2点が印象的であった。
通訳は女性の同時通訳。
讃美歌は。当たり前だが皆韓国語で歌い、日本語の讃美歌を見て唱和するのはとても難しい。
のでアーメンだけ唱和。
礼拝は一時間ほどで終わり、教会の中を案内してくださる、と言うので喜んでお願いする。
礼拝堂の収容は3000人。二階席がある。
日曜礼拝は昼5回、夜一回。
永楽教会の信徒数は50万人。
韓国内でも歴史と伝統がある有数のプロテスタント教会だ。
永楽教会の創立者は韓景職師(1902-2000)。
現在の北朝鮮に生まれ、信徒となって米国に留学。帰ってきて故郷の近くに教会を作るが、日本帝国主義朝鮮併合時代は辞職させられるなどしたが、終戦後は共産主義者から圧迫され、ソウルに移住して新たな教会を始める。それが永楽教会。
戦後はカトリック教会や仏教徒と共同で復興の精神的支柱となる活動をして声望を高め、同時に教会が発展拡大する。
戦時中は孤児院を作り、戦後は寡婦が増えると母子園を作り、身寄りのない老人のためには敬老園を作る。
自分とは言えば身一つの清貧な生活を送り、自身の名義で保有した不動産もなく預金通帳一つなかった(「韓国とキリスト教」浅見雅一,安廷苑著)。
こうした彼の事績と遺品(まさに靴と帽子のみ)と彼の執務室が記念館にある。
この記念館韓牧師の経歴を拝見して、説教の中で「苦しんでいる北朝鮮の人々に憐みを」と祈ったのは、教会の来歴のせいもあるのだろう。あるいはこうした考えが文新大統領の「対話路線」支持、にも繋がるのだろう。
どんな理由にせよ戦争は悲惨だ。多くの戦死者、孤児、寡婦、難民をもたらし、その惨禍は3世代以上に悪影響を及ぼす。 知恵を搾り出すのが進化の頂点にある人類の責務だ。
図書の中に日本語の本を探すが20点以上ある。
日帝時代に日本語を学んで相当なレベルであった、とのこと。
案内していただいたのち、事務室でコーヒーを頂く。
その席に上品なご婦人が居て、その方が同時通訳。
11時ごろお礼を言って(なにしろ礼拝後記念品もいただいた)辞し、ホテルに帰ってしばし休憩。
昼食後、ここから数分の空港リムジンのバス停から仁川に向かう予定だ。
すでにウエッブチェックインを済ませてある。
昼食は昨夜と同じ中華、「黄山 火鍋」で取る。
黄色は五行色の中心にあって帝位を示すから、随分と大きな名前を付けたものだ。
止めとけ、といわれた辛い麺を注文するが、口の中が火で焼かれたように熱い。
深での器に水を入れて、その中で洗って、牛肉や野菜、麺を食べるが、それを3個使ったところでギブアップ。
インチョン空港行きのバス停はホテルから4~5分の距離だが、ルート6015のデラックスバス使用がすぐ来る。15000ウオン。紙幣をここで綺麗さっぱり使い切る。
途中、日曜日にも拘らず渋滞があって、尿意を我慢するのに苦労する。
昼間2本もビールを飲んだ咎が来る。
空港では持参のドルで買い物。
イカの塩辛が10ドルもする。何でこんなに高いのか?と思うが同時にどんな味がするのか興味も湧く。
成田着は20時過ぎ。帰宅は23時、就寝は0時半。
よってこのブログは、ホテルで書いたものを31日朝書き足してアップする次第。